1180年(治承4年)8月24日未明、石橋山の戦いは源頼朝の大敗に終わりました。
頼朝を戦場から逃したのは、相模国鎌倉郡飯田郷を本拠していた飯田家義。
家義は、頼朝に加勢するつもりでしたが、前方を大庭景親に後方を俣野景久に塞がれてしまったため、止む無く平家方に付いて行動していたのだといいます。
頼朝が大敗すると、六騎を景親と戦わせ、この間に頼朝を逃がしたのだと伝えられています。
その後、頼朝が落とした数珠を持って駆けつけます。
この数珠は、頼朝が普段から持ち歩いていたもので、狩りなどで相模国の武士達は皆この数珠を見知っていたといいます。
それを家義が探し出して持ってきてくれたので、頼朝は大いに喜びました。
家義は供を願い出ますが、土肥実平に「大人数では山中に隠れているのが難しい」と説得され、泣く泣くその場を退去したのだとか。
(飯田城址)
横浜市泉区の富士塚公園は、飯田家義の館があった場所と伝えられています。
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