源義朝は、河内源氏6代目。
鎌倉の亀谷に館を構えて南関東支配の拠点としていました。
やがて、長男の義平に任せて中央へ進出。
熱田神宮大宮司藤原季範の娘由良御前を正室に迎え、頼朝が生まれます。
当時、義朝と対立関係にあった父の為義は、次男の義賢を北関東に下向させて義朝を牽制しますが、義朝は鎌倉の義平に命じて義賢の大蔵館を攻めさせて討ち取り、東国での地位を固めました。
後に義朝の旧跡に壽福寺が建てられています。
壽福寺の門前からの六浦道沿いには、窟堂・荏柄天神社・杉本寺という寺社が並んでいます。
これらは、頼朝が鎌倉に入る前からあったもので、六浦道は義朝の時代から整備されていたものと考えられます。
また、義朝の屋敷は沼浜(参考:法勝寺)にもあったということですので、鎌倉は古くから房総を望む拠点であったということなのでしょう。
右端の石には川上藤沢宿・川下八幡宮と刻まれています。
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