蛭ヶ小島は、
源頼朝が流されたと伝えられている地。
1159年(平治元年)12月、父
義朝とともに戦った
平治の乱で
平清盛に敗れた頼朝。
都を落ちて東国で再起を図ろうとした義朝は、翌1160年(平治2年)1月3日、
尾張国野間で
長田忠致に暗殺されてしまいます。
義朝一行と途中ではぐれてしまった
頼朝は、2月9日、平頼盛の家人・平宗清に捕えられ、清盛のいる
六波羅へ連行されました。
死罪は免れない状況でしたが、平宗清と清盛の継母
池禅尼の懇願で助命され、3月11日に伊豆国流罪となったのだと伝えられています。
伊豆国配流となった頼朝は、
箱根権現や
走湯権現(伊豆山権現)に帰依し、父
義朝の菩提を弔いながらの生活を送っていたのだといいます。
現在の蛭ヶ小島は公園として整備され、無料休憩所の「蛭ヶ島茶屋」では、そばやうどんなどの軽食が楽しめます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ