鶴岡八幡宮の一の鳥居の横にある大きな宝篋印塔は、畠山重保の墓と伝えられています。
高さ3.4メートルを超えるもので、塔の基礎に「明徳第四 癸酉霜月三 日大願主 比丘道友」と刻銘があることから、明徳4年=1393年の造立と考えられている石塔です。
鎌倉市の有形文化財に指定されています。
1205年(元久2年)6月22日早朝、北条時政の謀略により、由比ヶ浜で三浦義村の手の者に討たれてしまいます。
この日、父重忠も北条義時らに攻められ二俣川で討死にしています。
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畠山重保の屋敷は鶴岡八幡宮の一の鳥居の付近にあったのだと伝わっています。
重保の宝篋印塔は、咳で苦しむ人が願をかけると咳の病気が治るといわれ、「六郎さま」として親しまれてきました。
六郎茶屋という茶屋まで置かれていたといいます。
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