別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年11月2日水曜日

鶴岡八幡宮の神矢に討たれた土屋義清~和田合戦~




鎌倉時代、鶴岡八幡宮太鼓橋は朱塗りで「赤橋」と呼ばれていました。


1213年(建暦3年)5月3日、前日に北条義時を討つために挙兵した和田義盛は、由比ヶ浜若宮大路で激戦を繰り広げていました。

そんな中、土屋義清は甘縄から亀谷(壽福寺前)に入り、窟堂前を経て御所を目指します。

しかし、赤橋の傍らで流れ矢を受けて討死。

矢が北から飛んできたことから神の矢と噂されたのだとか。

この少し前、北条泰時から合戦の状況を伝えられた源実朝は、戦勝を祈願するために鶴岡八幡宮に和歌を奉納していました。




土屋義清は岡崎義実の子で、壽福寺の本願主でした。

義清の遺体は壽福寺に葬られたそうです。



和田合戦

和田義盛

朝比奈義秀


鶴岡八幡宮






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