1195年(建久6年)3月、源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養参列に付き従って上洛した畠山重忠は、4月5日、栂尾の明恵上人に会いにいった。
重忠が栂尾に近づくと、土ぼこりが煙のように立ち上がったのだとか。
洛中で火事が起こっているのか疑っている弟子たちに明恵は、
「そうではない。
名のある勇士がこちらへ向かっているのだろう。
その気を感じる」
と説いた。
しばらくすると畠山重忠が参上。
弟子たちは、今さらながらに上人の言葉を尊敬したのだいう。
重忠は、浄土宗の教えを承って帰ったのだとか・・・
京都栂尾の高山寺は明恵が開いた寺。
『吾妻鏡』では、明恵に会いに行ったことになっているが、明恵が栂尾の地を賜って高山寺を開いたのは1206年(建永元年)といわれているので、法然に会ったのだという説も。
また、明恵は法然の浄土宗を批判していたらしい。
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