妙本寺の総門前の石塔は、祖師堂前にあったもの。
1785年(天明5年)に現在の場所に移転されました。
本化上行再誕日蓮大士道場權輿也
上行は、釈迦 が法華経を説いたとき、末法の世に出て法華経を広めるように依頼した四人の菩薩の一人。
鎌倉で法華経の教えを説いた日蓮は、自分を上行菩薩の後身と称していたようです。
權輿は物事の始まりという意味。
つまり「宗門最初の寺院」という意味なのだとか。
比企三郎能基本行院日学上人舊地
妙本寺のある比企ヶ谷は、源頼朝が乳母の比企尼を迎え入れた場所。
尼の甥で養子となった比企能員の屋敷もありましたが、1203年(建仁3年)、北条時政と対立して滅ぼされました(比企能員の変)。
比企三郎能基(能本)は能員の末子。
比企一族滅亡後、出家して京都で順徳天皇に仕え、承久の乱で配流となった順徳天皇の供をして佐渡にいましたが、姪の竹御所(二代将軍源頼家の娘)が四代将軍藤原(九条)頼経の妻となったことから許されて鎌倉に戻ります。
1253年(建長5年)に日蓮の俗弟子となって、1260年(文応元年)、法華堂を建立して一族の菩提を弔ったのだそうです。
これが妙本寺の前身と伝えられています。
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妙本寺入口にある石塔
閻浮提内本化最初霊窟
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2022年の大河は北条義時