別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年7月8日水曜日

妙本寺総門前の石塔




妙本寺総門前の石塔は、祖師堂前にあったもの。




1785年(天明5年)に現在の場所に移転されました。


本化上行再誕日蓮大士道場輿也


上行は、釈迦 が法華経を説いたとき、末法の世に出て法華経を広めるように依頼した四人の菩薩の一人。

鎌倉で法華経の教えを説いた日蓮は、自分を上行菩薩の後身と称していたようです。

權輿は物事の始まりという意味。

つまり「宗門最初の寺院」という意味なのだとか。


比企三郎能基本行院日学上人舊地


妙本寺のある比企ヶ谷は、源頼朝が乳母の比企尼を迎え入れた場所。

尼の甥で養子となった比企能員の屋敷もありましたが、1203年(建仁3年)、北条時政と対立して滅ぼされました(比企能員の変)。

比企三郎能基(能本)は能員の末子。

比企一族滅亡後、出家して京都で順徳天皇に仕え、承久の乱で配流となった順徳天皇の供をして佐渡にいましたが、姪の竹御所(二代将軍源頼家の娘)が四代将軍藤原(九条)頼経の妻となったことから許されて鎌倉に戻ります。

1253年(建長5年)に日蓮の俗弟子となって、1260年(文応元年)、法華堂を建立して一族の菩提を弔ったのだそうです。

これが妙本寺の前身と伝えられています。


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妙本寺入口にある石塔

閻浮提内本化最初霊窟


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妙本寺祖師堂






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妙本寺


源頼朝の乳母・比企尼

比企氏の乱


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初代執権北条時政


2022年の大河は北条義時
二代執権北条義時

鎌倉殿の13人~宿老13人の合議制~


鎌倉手帳


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