源頼朝は、伊豆に流されてから、読経をおこたらず、尾張国野間で家臣の長田忠致に暗殺された父・源義朝や鎌田政長らを弔いながら日々を送っていました。
(愛知県美浜町・野間大坊)
しかし・・・
1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵をして、伊豆の目代山木兼隆を討った頼朝は、これから相模国へ進軍しなければならず、読経がおろそかになってしまいます。
8月18日、北条政子は、伊豆山権現の尼・法音に読経の代行してもらうことを勧めます。
法音は、政子の経の師でした。
頼朝が目録を法音に提出すると、法音は快諾したのだそうです。
(熱海)
伊豆山神社は、伊豆山権現・走湯権現とも呼ばれ、伊豆に流された源頼朝が源氏再興を祈願したのだと伝えられています。