別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年8月11日日曜日

源頼朝の永福寺は何を模して建てられたのか?~鎌倉検定~

1189年(文治5),源頼朝は自ら出陣して奥州の藤原氏を攻め滅ぼした。このとき,目にしてその壮麗さに感銘を受けた平泉の〔 中尊 〕寺の二階大堂(大長寿院)を模して創建したのが現在の二階堂(鎌倉宮裏手)にあった〔 永福 〕寺である。


この問題は、第8回鎌倉検定試験1級で出題されたものですが、同じような説明をした問題が2級、3級でも出題されています。

源頼朝の建てた永福寺の本堂は二階堂と呼ばれ、中尊寺大長寿院(二階大堂)を模したものだったと言われています。

『吾妻鏡』には、扉と仏壇の後壁の絵は、奥州平泉円隆寺の壁画を模して描かれたことが記されています。

※円隆寺は毛越寺の金堂(本堂)。


永福寺復元図

ただ、永福寺は、二階堂を中心に、南に阿弥陀堂、北に薬師堂が回廊(複廊)で結ばれ、阿弥陀堂の南と薬師堂の北には苑池へと延びる翼廊を従えていたことが確認されています。


無量光院・復元図

無量光院は、奥州藤原氏三代目の秀衡が建立した寺院。

宇治の平等院鳳凰堂を模して建てられたのだといいます。

源頼朝の永福寺建立の全体構想には、無量光院があったのかもしれません。



 鎌倉検定


 永福寺跡






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