源頼朝がまだ伊豆国の蛭ヶ小島に配流の身であったころのこと。
「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めました。
その後、源氏再興の挙兵をして鎌倉を本拠と定めた頼朝は、かくれ里と呼ばれる地に祠を発見。
畠山重忠に命じて社殿を建立させました。
それが佐助稲荷神社の始まりなのだと伝えられています。
伊豆の流人時代は「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた頼朝。
初陣を果たした1159年(平治元年)の平治の乱で、一時、右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられたためです。
すぐに平清盛に敗れて解官されてしまいますが、伊豆では「佐殿」と呼ばれ続けていたようです。
佐助稲荷神社の「佐助」という名には、「佐殿を助けた」という意味があるのだとか・・・
稲荷神は、その字で明らかのように「稲の神、食物の神」として、広く農民に信仰されてきました。
今日では、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神としての参詣者も多くみられます。
2019年の初午祭は2月2日。
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京都は七福神発祥の地