別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年9月5日水曜日

土肥実平が源頼朝に見せた「焼亡の舞」

1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、山中を彷徨い、一時、箱根権現に身を潜めますが、土肥実平の案内で土肥郷へ下り、8月28日、真鶴から安房国へと船出します。

その途中の山上から実平が見たのは、敵将伊東祐親が放った火によって、実平の本拠土肥郷が燃える光景でした。

我が家が燃えるのを見た実平は、頼朝の前で即興の謡で舞います。

「八幡大菩薩の光を受けて、平家を滅ぼし天下と四方の海を照らせば、我らの子孫も反映する。

我家は何度でも焼けばよい。

頼朝が天下を取れば、土井の杉山の木で造り替えることができる・・・」

実平は源氏の勝利を信じ、子孫の繁栄を願って舞ったのだいいます。


 焼亡の舞
(湯河原町:土肥祭)

実平の舞は「焼亡の舞」(じょうもうのまい)と呼ばれます。

「焼亡」とは火事のこと。

上の写真は4月の土肥祭で公演された「焼亡の舞」。

9月の鶴岡八幡宮例大祭でも演じられる予定です(9月16日)。


 鶴岡八幡宮例大祭

 鶴岡八幡宮神幸祭

 鶴岡八幡宮例大祭流鏑馬


 土肥祭:源頼朝旗挙げ行列









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