その途中の山上から実平が見たのは、敵将伊東祐親が放った火によって、実平の本拠土肥郷が燃える光景でした。
我が家が燃えるのを見た実平は、頼朝の前で即興の謡で舞います。
「八幡大菩薩の光を受けて、平家を滅ぼし天下と四方の海を照らせば、我らの子孫も反映する。
我家は何度でも焼けばよい。
頼朝が天下を取れば、土井の杉山の木で造り替えることができる・・・」
実平は源氏の勝利を信じ、子孫の繁栄を願って舞ったのだいいます。
(湯河原町:土肥祭)
実平の舞は「焼亡の舞」(じょうもうのまい)と呼ばれます。
「焼亡」とは火事のこと。
上の写真は4月の土肥祭で公演された「焼亡の舞」。
9月の鶴岡八幡宮例大祭でも演じられる予定です(9月16日)。