別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年9月29日土曜日

清水寺の千手観音に幼い三人の子の無事を祈った常盤御前

1159年(平治元年)12月に起こった平治の乱

常盤御前の夫・源義朝は、平清盛に敗れて東国へ逃れる途中の尾張国野間で長田忠致に謀殺されました。


 源義朝の墓
(愛知県野間大坊)


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『平治物語』によると・・・

常盤御前には幼い三人の子がいました。

平清盛がその子らの行方を探していることを聞いた常盤御前は、日頃から頼りにしていた観音さまに祈ることとします。

1160年(永暦元年)2月9日、都に入った常盤御前は、夕方になって宿所を出て、8歳の今若を先に行かせて、6歳の乙若の手を引き、生まれたばかりの牛若を懐に抱いて、清水寺に参ります。

仏前に参った常盤御前は、二人の子どもを脇に座らせて、夜通しの何度も何度も祈って観音さまの加護を願ったのだそうです。


 清水寺子安塔

常盤御前は、清水寺の千手観音に今若・乙若・今若の三人の無事を祈ったのだといいます。

今若は、のちの阿野全成

乙若は、のちの源義円

そして、今若は、のちに源平合戦で活躍する源義経


 清水寺

『平治物語』によると・・・

清水寺を信仰していた常盤御前は、9歳の時から月詣でを始め、15歳になるまでは18日ごとに三十三巻の観音経を読み、その後は毎月法華経三部、19歳のときから毎日その三十三体の写仏をしていたのだとか。






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