『吾妻鏡』によれば・・・
1194年(建久5年)7月29日、源頼朝の長女・大姫が危篤状態に陥ります。
(八方手を尽くしたといいますが、一向によくなりませんでした。)
そこで、頼朝は、「この国に2つとない効験のある薬師如来」という日向薬師の参詣を思い立ったのだといいます。
頼朝は、8月8日の早暁、日向薬師に向けて出発しています。
そして、仏に祈った後、夜になって帰ったそうです。
大姫は、1183年(寿永2年)に木曽義仲の嫡男・義高と結婚。
大姫が6歳、義高が11歳でした。
しかし翌年、頼朝は木曽義仲を討伐し、義高も殺してしまいます。
それから大姫は病気となり生涯よくなることはありませんでした。
そして、1197年(建久8年)7月14日に亡くなっています。
日向薬師(宝城坊)は、716年(霊亀2年)に行基によって開かれた霊山寺の別当坊。
『吾妻鏡』によると、北条政子も二度参詣しているようです。
日陰道は日向薬師の参道。
源頼朝や北条政子が歩いた道なのだとか。
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