お盆の精霊迎え「六道まいり」と閻魔大王ゆかりの寺として知られる六道珍皇寺の寺紋は「笹竜胆」(ささりんどう)。
正確には「子持ち引両に笹竜胆」で、笹竜胆の上に二本の線(上に太い線、下に細い線)が描かれたものです。
子持ち引両に笹竜胆
寺紋は、寺に関係する氏族の家紋をそのまま用いることが多いですが、六道珍皇寺で象徴的な人物といえば、冥界と現世を行き来したという平安時代公卿・小野篁。
ただ、小野篁の紋が笹竜胆だったということではないようです。
では何故、笹竜胆を寺紋としているのでしょう?
六道珍皇寺は、鎌倉時代までは真言宗の寺で東寺の末寺として栄えますが、中世の兵乱で荒廃し、室町時代に建仁寺の良聡によって再興されました。
建仁寺は、1202年(建仁2年)に鎌倉幕府二代将軍源頼家の援助で創建された京都最古の禅寺。
鎌倉時代から五山に列せられていた格式のある寺です(現在は京都五山第三位)。
笹竜胆は、清和源氏の紋として知られていますが、頼家は清和源氏。
建仁寺は、源氏や北条氏の庇護のもとで発展した寺ですので、六道珍皇寺が再興される際にも源氏の流れを汲む支援者が多く関わっていたのかもしれません。
また、室町時代は清和源氏の足利氏によって統治された時代です。
足利氏の紋は二引両で、建仁寺の寺紋は「二引両に五七の桐」。
「五七の桐」は室町幕府を開いた足利尊氏が賜ったもの。
二引両に五七の桐
鎌倉幕府滅亡後の建仁寺は足利氏の庇護によって発展し、三代将軍足利義満の時代には京都五山第三位に列せられました。
寺紋に「二引両に五七の桐」が用いられているのは足利氏の影響によるものと思われますが、六道珍皇寺の笹竜胆の上の二引両もそうなのかもしれません。
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