1207年(建永2年)9月4日、専定という旅の僧が松の木陰で休んでいると・・・
梢にとまった二羽の烏が・・・
「今日は熊谷蓮生房が大往生の日だ。西方浄土へ導かれるのも念仏の功徳というものだろう」
と話して飛び去っていきました。
不思議に思った専定が熊谷蓮生房の庵を訪ねると、その日に蓮生房は亡くなっていたとのだといいます。
これが専定寺の起こりで、「烏寺」(からすでら)と呼ばれる由縁なのだとか。
(金戒光明寺)
熊谷蓮生房とは、熊谷直実のこと。
源平合戦で活躍しますが、一の谷の戦いで我が子ほどの年齢の平敦盛の命を奪ったことに無常観を感じ、金戒光明寺で出家したのだと伝えられています。
『吾妻鏡』には、1208年(承元2年)9月14日未の刻(午後2時頃)に世を去ることを発表し、その予告どおり東山の麓で「端座合掌し、高声念仏を唱え」ながら死去したと記録されています。
(神戸市:須磨寺)
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