壽福寺は、源頼朝の死後、源氏の旧蹟地に北条政子が創建したと伝えられています。
かつてこの辺りには頼朝の父・義朝の屋敷がありました。
頼朝も当初はここに御所を構えるつもりでいたようですが、土地が狭く、亡き父の御堂もあったことから諦めたのだといいます。
仏殿前のビャクシンは鎌倉市の天然記念物。
かつての壽福寺の梵鐘は、開山の栄西が宋より持ち帰ったものだったそうです。
「いぼなし鐘」と呼ばれていましたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原攻めが起こると、後北条氏(小田原北条氏)によって取り上げられ、鉄砲の弾に使われてしまったと伝えられています。
鐘楼
壽福寺の後方は源氏山。
源義家が後三年の役の戦勝を祈願して源氏の白旗を掲げたことから「源氏山」と呼ばれるようになったとのだといいます。
庚申塔
(鎌倉市文化財)
右端の石には川上藤沢宿・川下八幡宮と刻まれています。
その後方には勝ノ橋の橋標。
壽福寺門前の扇川に架けられていたと考えられていますが、現在は何もなく、橋標があるのみとなっています。