佐竹一門の佐竹(山入)与義が自刃したというやぐら。
鎌倉公方・足利持氏に反抗していた与義。
しかし、1422年(応永29年)、持氏の命をうけた上杉憲直によって佐竹屋敷が攻撃されると、裏山を越え比企ヶ谷に逃げ込み、法華堂で自刃したと伝えられています。
法華堂というのは、源頼朝の孫(頼家の娘)・竹御所の遺言によって妙本寺境内に建立された新釈迦堂と考えられています。
新釈迦堂に逃げ込んだ与義は、妙本寺に火をかけます。
住職だった日行は、日蓮の描いた曼荼羅を持ち出し、蛇苦止堂の井戸に隠そうとしたところ、蛇が現れ、空には雲が起こって大雨を降らせ、火を消したと伝えられています。
新釈迦堂のあった場所
現在は墓地です。
墓地の奥には竹御所の墓
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