覚園寺の「地蔵菩薩立像」は、別名「黒地蔵」と呼ばれています。
地獄では、罪人が猛火による「責め苦」にあうそうです。
「黒地蔵」は、地獄で火に苦しんでいる者を見て、少しでも罪人の苦しみを和らげてあげようと、自らが獄卒(地獄の役人)となって火焚きを行いました。
「地獄の火を小さくしてあげた」ということなのでしょうか・・・。
そして、火を焚くうちに、その全身は黒く焦げてしまったのだといいます。
朝粥
(黒地蔵縁日でいただけます。)
覚園寺は、1218年(建保6年)、二代執権・北条義時の建てた大倉薬師堂を前身としています。
その後焼失してしまいますが、1296年(永仁4年)、九代執権・北条貞時が元寇が再び起こらぬようにとの願いから覚園寺を創建しました。
鎌倉幕府滅亡後も後醍醐天皇の勅願所、足利尊氏の祈願所となって保護を受け、鎌倉最大の茅葺の薬師堂では尊氏自筆の梁牌(棟札)を見ることができます。
薬師堂には、本尊の薬師三尊(「木造薬師如来及日光・月光菩薩坐像」(国重文))、木造十二神将立像(国重文)、木造阿弥陀如来坐像」(県重文:鞘阿弥陀)や、木造伽藍神倚像、木造賓頭盧尊者像などが安置されています。
8月10日の黒地蔵縁日は、午前零時より始まります(正午頃まで)
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