鎌倉宮は、明治天皇が悲運の最期を遂げた護良親王を祀るために建てた神社。
足利尊氏と対立して捕えられた護良親王は、鎌倉の東光寺(廃寺)に幽閉されていたと伝えられています。
1335年(建武2年)7月、北条高時の遺児時行が反乱を起こします。
鎌倉を守っていた足利直義(尊氏の弟)は、7月23日、淵辺義博に命じて護良親王を殺害し鎌倉を逃れました。
討ち取られた護良親王の首は、理智光寺の僧が拾い上げ葬ったのだと伝えられています(護良親王墓)。
護良親王の子日叡が教えを受けたという日賢の供養塔。
護良親王は戦の時に獅子頭を兜の中に入れていたといいます。
宝物殿
東慶寺5世の用堂尼は、護良親王の妹。
護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれています。
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