『平治物語』によれば・・・
1159年(平治元年)、平治の乱で源義朝が平清盛に敗れると、義朝の側室・常盤は3人の子を連れて清水寺へ参りました。
今若と乙若を左右のかたわらにおき、生まれたばかりの牛若を抱いて夜を過ごしました。
そして、清水寺の千手観音に3人の子の命を救ってくれるよう祈願します。
その後、平清盛のいる六波羅へ送られた常盤と3人の子たちは、清水観音の力によって命を救われたのだと伝えています。
今若は、のちの阿野全成、
乙若は、源義円、
牛若は、源義経。
その後、今若は醍醐寺で、乙若は園城寺で出家。
牛若は11歳のときに鞍馬寺へ預けられました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
千手観音が安置されています。
清水寺の子安塔は、かつては仁王門の前にあって、安産の神として信仰を集めてきました。
産寧坂(三年坂)は、子安塔への参詣道だったことから付けられた名だといいます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
源義朝の側室常盤御前は、近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
千人の美女の中から選ばれた「美女中の美女」だったといいます。
『吾妻鏡』によれば、1186年(文治2年)6月13日、源頼朝は、関東に反逆して逃亡した義経の母常盤と妹を鎌倉に護送するかどうか検討したようですが、常盤が鎌倉へ送られてきたという形跡はないようです。
常盤が史実の上で登場するのは、この日が最後だといわれています。
★源義経の母常盤御前
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉との繋がりを求めて・・・