釈迦如来像は、出家後の釈迦の姿をモデルとしたもので、一枚の粗末な衣だけを身につけています。
(鎌倉)
三尊像では、脇侍に文殊菩薩像と普賢菩薩像が置かれます。
如来像と菩薩像の違いは、出家後の釈迦とそれ以前の釈迦をモデルとしていること。
釈迦は、シャカ族の王子として誕生しました。
そのため出家前は宝冠をかぶり、様々な装身具を身につけていました。
出家前の釈迦をモデルにしたのが菩薩像なのだそうです。
観音菩薩
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飛鳥・奈良時代の三尊像では、脇侍に薬王菩薩像と薬上菩薩像が置かれているものが見られます。
これは古い形の三尊像で、釈迦が万病をことごとく治す「医王」の異名をもっていたことから、薬で衆生を救う兄弟の菩薩像が、医王の救済の仕事を手伝うために置かれたのだといいます。
奈良興福寺の金堂に安置されていた釈迦三尊像の脇侍も薬王菩薩像と薬上菩薩像です。
釈迦の十大弟子の大迦葉と阿難を置く場合もあるようです。
京都萬福寺の本堂に安置されている釈迦如来坐像の脇侍は、迦葉と阿難です。
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いろいろな釈迦如来像
日本では4月8日が釈迦の誕生日され、「花まつり」と称して釈迦の誕生仏に甘茶をかけて祝います。
釈迦は生まれてすぐに7歩あるき、「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。
この様子を表したのが誕生仏です。
(鎌倉:建長寺法堂)
29歳で出家した釈迦は、6年間にわたって苦行を積みます。
目はくぼみ、骨と皮だけとなった身体を表したのが釈迦苦行像。
そして、35歳の時に菩提樹の下で悟りをひらきます(12月8日:成道会)。
(鎌倉:建長寺)
釈迦が死に臨んだ最期の姿を表したのが涅槃像。
日本ではほとんどが画像(涅槃図)です。
釈迦が死んだといわれる2月15日には、各寺で涅槃図が掲げられ法要が営まれます(涅槃会)。
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