1月25日、復元された二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の基壇が公開されました。
源頼朝は、1189年(文治5年)の奥州合戦の折に見た中尊寺二階大堂に感銘を受け、戦没者供養のために永福寺を建立したと伝えられています。
永福寺は、鶴岡八幡宮(寺)・勝長寿院に続いて創建された源頼朝の三大寺院の一つ。復元された基壇からその壮大さを伺うことができます。
永福寺の三堂は、二階堂を中心に、北に薬師堂、南に阿弥陀堂が建てられ、三堂の前面には池が配されていました。
薬師堂と阿弥陀堂の外側には翼廊が設けられ、二階堂前には長い橋が架けられていたといいます。
浄土教式苑池の寺院建築としては最大級のものだったそうです。
その壮大な寺院も1405(応永12年)の炎上以後衰え廃絶しました。
※庭園の整備は来年度以降に行われるようです。
(建物や庭園の橋は、復元される予定はないそうです。)
菜の花が咲いていました。
永福寺跡の北側は、春になると菜の花でいっぱいになります。
復元想像CG
(製作:湘南工科大学:案内看板より)
永福寺跡は、世界文化遺産の候補地です。
世界文化遺産候補21の史跡 |