別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年9月20日火曜日

昇進を重ねた源実朝


(甲斐善光寺)


源実朝は、1192年(建久3年)8月9日、源頼朝の子として誕生します。

実朝の誕生に際して、様々な儀式が行われたことが『吾妻鏡』に記されています(参考:源実朝の誕生)。



実朝は、1203年(建仁3年)、比企氏の乱によって将軍職をおわれた兄頼家のあとを継いで征夷大将軍となりました。


『吾妻鏡』によれば・・・

9月7日に従五位下征夷大将軍の宣旨が下されたことが記されています。

そして、10月8日、北条時政名越亭で元服の儀が執り行われ、名を「千幡」から「実朝」に改めたといいます。

12歳でした。

10月24日には右兵衛佐に任じられています。


~実朝の昇進~


その後の実朝は、次々に昇進を重ねていきました・・・


1204年(建仁4年)1月7日・・・従五位上
1204年(建仁4年)3月6日・・・右近衛少将

1205年(元久2年)1月5日・・・正五位下
1205年(元久2年)1月29日・・・右近衛中将

1206年(建永元年)2月22日・・・従四位下

1207年(建永2年)1月5日・・・従四位上
1207年(承元元年)12月9日・・・正四位下

1209年(承元3年)4月10日・・・従三位
1209年(承元3年)5月26日・・・右近衛中将

1211年(承元5年)1月5日・・・正三位

1212年(建暦2年)12月11日・・・従二位

1213年(建保元年)2月27日・・・正二位


1216年(建保4年)6月20日・・・権中納言
1216年(建保4年)7月22日・・・左近衛中将


この年の9月18日、北条義時大江広元を呼んで実朝の昇進について密談し、9月20日、広元義時の使いとして実朝を諫めますが・・・、

実朝は、

「源氏の正統は実朝の代で絶えるから、せめて官職を帯び、家名を上げたいと思う」

と答えたといいます。

そして、実朝は、翌々年になると、めざましい昇進を遂げることになります。


1218年(建保6年)1月13日・・・権大納言
1218年(建保6年)3月6日・・・左近衛大将
1218年(建保6年)10月9日・・・内大臣
1218年(建保6年)12月2日・・・右大臣


この年の2月10日、実朝が大将を望んでいたことから大江広元が京都に使者を発しています。

このめざましい昇進は、「後鳥羽上皇による『官打』であった。」とする説もあります。

「官打」というのは、「身分不相応な位に昇らせ不幸する」ということです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

次々に昇進を続けた実朝でしたが、1219年(建保7年)1月27日、前年末に昇進した右大臣拝賀の式後、甥の公暁によって暗殺されました(享年28歳)。

遺体は勝長寿院に葬られたそうです。


鶴岡八幡宮のビャクシン

鶴岡八幡宮若宮にあるビャクシンの古木。

宋に憧れた源実朝が、宋より苗を取り寄せて植えたものと伝えられています。

参考:宋に憧れた源実朝


源実朝の暗殺

源実朝が暗殺された日



承久の乱

北条政子の言葉~承久の乱~

宇治川の戦い~承久の乱~







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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