別冊『鎌倉手帳』




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2011年5月19日木曜日

曾我五郎時致の恋物語~仮粧坂~

『吾妻鏡』には、1251年(建長3年)、幕府が小町屋の指定を行ったことが記されています。
指定された地域以外での商業活動を禁止した法令です(参考:商人に対する規制)。

指定された小町屋は、大町、小町、米町、亀谷辻、和賀江、大倉辻、気和飛坂山上でした。

ここにある「気和飛坂」というのが「仮粧坂」のことだと考えられています。


仮粧坂の碑


仮粧坂は、藤沢・戸塚に通ずる要路で、鎌倉時代には多くの人々の往来で賑わったものと考えられます。

そんな仮粧坂の下には「曾我兄弟の仇討ち」で知られる曾我五郎時致が通ったという娼家があったと『曾我物語』は記しています。


仮粧坂の下の遊女に恋をした時致でしたが・・・

その遊女のもとへは梶原景季も通っていたといいます。

ある日、景季がほかの男の話などをして遊女を困らせてしまいます。

すると、遊女は人前に出ること止めてしまったそうです。

そうとは知らず時致が娼家を訪ねると、遊女は好いていた時致にも会わなかったといいます。

遊女の友人が言うには、

「景季の虜になってしまった」

とのこと。

信じられない時致でしたが、

「あふと見る夢路にとまる宿もがな つらきことばにまたもかへらん」

という恋歌を残して去ったといいます。

しばらくしてこの歌をみた遊女は後悔をし泣き崩れたそうです。

そして、遊女は仏門に入り出家します。

遊女が出家したことを聞いた時致は、

「自分の想い人が出家したいま、思い悲しむことはなくなった」

として、父の仇工藤祐経を討つことに邁進したといいます。


1193年(建久4年)、源頼朝は富士裾野で大規模な軍事演習を行いました。

曾我兄弟は、その際に仇討ちを決行し、見事に工藤祐経を討ちました。


現在の仮粧坂

しかし、兄十郎祐成は仁田忠常に斬られ、弟十郎時致は御所五郎丸に捕らえられたのち、斬られたといいます(参考:伝御所五郎丸屋敷跡 伝御所五郎丸墓)。






相模の武将「曾我兄弟」
https://www.yoritomo-japan.com/soga.htm
仮粧坂
https://www.yoritomo-japan.com/kodou-9.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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