別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2025年12月16日火曜日

鎌倉検定 島津忠久~源頼朝の御落胤?~


【問】
鎌倉時代に、将軍源頼朝と御家人島津忠久という関係で結ばれ、800年以上を経た現在でも市民有志の交流が続くなど歴史的な縁が深く、また両市共に美しい海岸線を有しているなどの地理的特徴や、国際観光都市として発展しているなど多くの共通点があることから、2023年(令和5)に鎌倉市と文化・観光交流協定を締結した都市はどこか。

(第19回2級)



2023年(令和5年)12月26日、鎌倉市は鹿児島市と文化・観光交流協定を締結しています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


島津忠久は、薩摩国を本拠地とした島津氏の祖。

父は惟宗広言で、母は比企尼の長女丹後内侍ですが、源頼朝の御落胤という説が・・・


住吉大社誕生石


伝説によると・・・

源頼朝に仕えていた丹後局が頼朝の子を身籠もると、怒った北条政子畠山重忠に殺すよう命じます。

重忠は家臣の本多次郎近常(親恒)に命じて丹後局を由比ヶ浜に誘い出しますが、殺すことはできず、身代わりを立てて逃がしたのだとか。

そして、丹後局は、摂津国住吉に辿り着き、無数の狐火に導かれて住吉大社に至ったのだといいます。


住吉大社誕生石

社頭で産気づいた丹後局は、傍らの大石を抱きながら男児を出産。

のちに頼朝は、その子に薩摩・大隅二か国を与えます。

それが島津氏の祖・島津忠久なのだとか。

忠久の「忠」は、畠山重忠の一字を与えられたのだとも伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


茅ヶ崎にはこんな伝説も。

(茅ヶ崎市)

懐嶋山の碑は、源頼朝と丹後局との間に生まれたという島津忠久の胎盤が埋められたという場所に建てられています。

「えな塚」(胞衣塚)と呼ばれてきました。

伝説によると・・・

丹後局が自分の子を身籠ったことを北条政子に知られた頼朝は、比企能員に命じて丹後局を大庭景能邸に預けました。

そして、丹後局は頼朝が建てた桜屋敷に移って男子を出産。

三郎と名付けられたそうです。

7歳になった三郎は1185年(文治元年)6月15日、鶴岡八幡宮で頼朝と対面。

そのとき「忠久」と名乗ったのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



鎌倉の源頼朝墓は、江戸時代に島津忠久の子孫・重豪が建てたものと伝えられています。

重豪は、反感を抱いていた徳川幕府に対し、頼朝の墓を建てることで、その「家柄」を示したともいわれています。

頼朝墓の東の山裾には、重豪が頼朝墓とともに整備した島津忠久の墓があります。




鎌倉検定


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2025年12月15日月曜日

建久2年の大火と鶴岡八幡宮の再建~御鎮座記念祭 御神楽~




鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した由比若宮に始まります。

1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷に遷して武家の都の中心に据えました。

翌年には仮宮を立て直し、新造の正殿に御神体が納められています。

1182年(養和2年)には参道の若宮大路も整備されました。

静御前が舞い、流鏑馬が行われ、頼朝の母由良御前の供養のための五重塔が建てられた鶴岡八幡宮でしたが・・・


鶴岡八幡宮


1191年(建久2年)3月4日、小町大路で火事が発生。

強風にあおられた火は、北条義時、大内惟義、比企朝宗、佐々木盛綱、一品房昌寛、仁田忠常、工藤行光、佐貫広綱など御家人10人の屋敷を焼き、鶴岡八幡宮五重塔に燃え移ります。

この火事により鶴岡八幡宮は悉く灰燼に帰してしまいました。

3月6日、焼失した鶴岡八幡宮を見た頼朝は涙を流したといいますが、8日には再建工事に着手します。

そして、若宮再建とともに上宮(本宮)を創建し、11月21日に遷宮が行われました(改めて石清水八幡宮の祭神を勧請しています。)。

上宮の建設は、火事による被害を防ぐためだったと考えられています。



御鎮座記念祭

毎年12月16日に行われている「御鎮座記念祭」(御神楽)は、遷宮の際に行われた儀式を再現したものです。

頼朝は、遷宮の日に「宮人曲」を唄わせるため、京都から雅楽家の多好方を招いていました。

好方が「宮人曲」を唄うと、神が感応するほどのめでたい出来事の前ぶれだとして、頼朝も感激したのだといいます。



鶴岡八幡宮

御神楽


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初詣:鶴岡八幡宮


神楽始式
1月1日

御判神事
1月1日~7日

手斧始式
1月4日

除魔神事
1月5日

左義長
1月15日

鶴岡厄除大祭
1月30日~2月1日


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吾妻山 菜の花ウォッチング2026 ~富士と菜の花が待っている!~




二宮町の吾妻山には6万株の早咲きの菜の花が植えられています。

「吾妻山 菜の花ウォッチング」は、菜の花の開花期にあわせて開催されるイベント。

2026年の開催は・・・

1月10日(土)~2月15日(日)

2026年もデジタルスタンプラリー、レシートラリーを実施。

駅からハイキングも同時開催。

曽我兄弟の菩提寺知足寺と、源頼朝が信仰した相模国二之宮の川勾神社では、雛飾り展が開催されます。




吾妻山は『関東の富士見百景』に選ばれています。

登るのはきついですが、頑張って登り切れば雄大な富士の景色が待ってます。

富士の両側には箱根と丹沢。

相模湾・大島・初島・江の島・三浦半島を見渡すこともできます。



吾妻山 菜の花


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あたみ桜


鶴岡八幡宮の正月ぼたん


曽我梅林


松田町の河津桜


頼朝桜まつり~鋸南町~


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2025年12月14日日曜日

藤沢七福神「2026開運干支手拭」の先行販売




「開運干支手拭」は、新春の藤沢七福神めぐりで記念販売されるオリジナル手拭。

人気のため、毎年、先行販売されています。


1枚300円


【販売開始】
2025年12月18日(木)

【販売場所】
藤沢市観光センター
(8:30~17:00)
片瀬江の島観光案内所
(8:30~17:00)
ふじさわ宿交流館
(9:00~17:00)

※ふじさわ宿交流館は月曜日と年末年始12月27日~1月1日)休館


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


藤沢七福神めぐりは、源頼朝源義経ゆかりの寺社をめぐりながらの福神参拝です。


白旗神社(毘沙門天)

皇大神宮(恵比寿)

江島神社弁財天

諏訪神社(大黒天)

龍口寺(毘沙門天)

養命寺(布袋)

感応院(寿老人)

常光寺(福禄寿)

遊行寺宇賀神社(宇賀弁財天))


藤沢市観光協会主催の七福神めぐりも開催されます。

2026年1月16日(金)・18日(日)

定員は50名。

参加費用は1000円。

受付開始は12月19日(金)午前9時から。

申込みは、電話でふじさわ宿交流館へ。



藤沢七福神めぐり


初詣:江島神社


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2025年12月13日土曜日

鎌倉検定 土紋装飾の仏像


【問】
鎌倉地方の仏像に特有の技法である「〔  〕」が注目されている。〔  〕の来迎寺 「〔  〕観音菩薩像」や浄光明寺の「阿弥陀三尊坐像(木造阿弥陀如来及両脇侍坐像)」、 〔  〕の「聖観音菩薩立像」などにその技法が見られる。

(第19回2級)


土紋装飾


「土紋」は、粘土や漆などを混ぜて型で抜き、刺繍の文様を立体的に表現する鎌倉独特の装飾方法。

源頼朝が創った武家の都「鎌倉」の仏像には、早くから運慶の新様式が取り入れられ、さらに、宋文化も取り入れた独特の様式があみ出されました。

「土紋装飾」もその一つ。

西御門来迎寺の如意輪観音半跏像

覚園寺阿弥陀如坐来像

宝戒寺歓喜天像

浄光明寺阿弥陀如坐来像

浄智寺韋駄天立像

東慶寺聖観音立像

円覚寺塔頭伝宗庵地蔵菩薩坐像

が土紋が施された仏像です。



鎌倉検定


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鎌倉検定 眼病救護の本覚寺


【問】
次の御朱印の模式図の?にあてはまる語を漢字で書きなさい。

(第19回1級)




本覚寺は、三島の本覚寺を拠点に伊豆一円を教化した名僧・日出が建立した寺。

日出は伊豆国宇佐美(現在の伊東市)で鏡澄丸という聡明な少年に出会い、弟子にして鎌倉に連れ帰ったのだとか。

その子が二代住持となる日朝。

日朝は日蓮宗の総本山・身延山(久遠寺)十一世法主として身延山を中興。

身延山に祀られていた日蓮の遺骨を本覚寺に分骨しました。

そのため、本覚寺は「東身延」と呼ばれています。

また、日朝は晩年に目を患いますが、法華経への厚い信仰によって視力を取り戻したといわれ、眼病守護の神として信仰されました。

そのため本覚寺も眼病平癒の寺「日朝さん」として親しまれています。



鎌倉検定


本覚寺


にぎり福


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