建長寺には、寺の残りご飯などをもらっていた古狸がいました。
古狸は、これまでのお礼にと僧に姿を変え、山門再興の勧進の旅にでます。
ある日、狸和尚は中山道板橋宿の旅籠に泊まります。
旅籠の主人が廊下を通り過ぎようとすると、
お坊さんが泊まっているはずの部屋の障子に狸の姿が映っていました。
目を疑った主人が障子を開けてみると、
座っていたのはやはりお坊さんでした。
次の日、狸和尚は練馬宿に泊まります。
狸和尚が風呂に入っているときに女中が通りかかり、
風呂をのぞいてみるとお坊さんの尻にシッポがあって、
お坊さんがそのシッポを洗っているのを見てしまいます。
さらに次の日、狸和尚は青梅街道を駕籠に乗っていました。
世間には「狸和尚」の噂がひろまっていましたので、
駕籠かきは「この和尚が狸かもしれない」と思い、
一匹の犬をけしかけてみました。
やがて犬は狸和尚を駕籠から引きずり出しかみ殺してしまいました。
駕籠かきは「やはり狸だった」と思うのですが、
いつまでたっても狸の正体が現れません。
びっくりした駕籠かきは、お坊さんを殺してしまったと思い役人に自首します。
ところが、三日が過ぎた頃になって、ようやく狸の正体が現れました。
無罪放免となった駕籠かきは、
駕籠の中に置かれていた金銭を建長寺に届けたのだといいます。
他にもいろんな話が残されているようです。
狸和尚は、犬が嫌いで、食事の姿を人に見せなかったといいます。
狸和尚の書いた墨跡ものこされているのだとか・・・
鎌倉時代末頃の山門は、現在の山門よりさらに大きく、総桁行97尺もあったといいます。1尺を約30㎝とすると30mということでしょうか。