建長寺創建前にあった心平寺の本尊であったと伝えられています。
心平寺地蔵 |
心平寺のあった谷は「地獄谷」と呼ばれていたそうです。
その地獄谷で斎田左衛門という者が無実の罪で斬首されようとしていました。
しかし、討手が何度刀をふりおろしても左衛門の首は斬れなかったそうです。
それは、左衛門が日頃信心していた地蔵の小像を髻(もとどり)の中に納めていたからだといいます。
小像には刀の切り傷が残されていました。
命を助けられた左衛門は、自分の身代わりになってくれた地蔵に感謝しました。
そして、その小像を心平寺地蔵の頭の中に納めたそうです。
その後、建長寺が創建されると、仏殿本尊の地蔵菩薩像の胎内に移されたといわれています。
横浜の三渓園には、建長寺から移築された地蔵堂があります。
この地蔵堂は、建長寺の塔頭であった心平寺の地蔵堂と伝えられています。
斎田左衛門が信心していた地蔵の小像は、「斎田地蔵」と呼ばれています。
現在の仏殿本尊の胎内には、その模像が納められているそうです。
※「斎田」という字ではなく「済田」という字が正しいのかもしれません。
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横浜三渓園
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(かくしょうかく)
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