別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年5月31日火曜日

建長寺の鎮守・・・半僧坊大権現

建長寺の方丈の外側の道は半僧坊への参道です。

途中には、作家葛西善蔵にゆかりのある茶屋「招寿軒」の建物や、江戸時代の土木事業家河村瑞賢の墓があります。


招寿軒と達磨大師像

長い石段を登ると半僧坊大権現です。

建長寺の裏山は「勝上献」(しょうじょうけん)と呼ばれ、標高は145メートルです。
(※「献」の字は上には、「山」の字が入ります。)

半僧坊大権現は、勝上献の中腹にあります。




半僧坊大権現は天狗の姿をしています。石段を登っていくとやがて天狗の像が迎えてくれます。

戦時中には鉄製の天狗像が供出されてしまいますが、現在は復興されています。

半僧坊大権現
1890年(明治23年)、霄貫道(あおぞらかんどう)和尚が、
静岡の奥山方広寺から勧請しました。

半僧坊大権現正面の見晴台からは建長寺の諸堂を見下ろすことができ、
遠くには相模湾を臨むこともできます。

左手の見晴台からは富士山を臨むことができます。

地蔵堂
鎌倉二十四地蔵の一つ「勝上献地蔵」が祀られています。
江戸中期に報国寺の杲峰和尚によって復興されたそうです。
地蔵堂からの石段を登ると天園ハイキングコースです。


半僧坊大権現の近くにある洞窟は、「開山修行窟」と呼ばれるそうです(どこにあるかわかりませんが・・・)。

建長寺開山の大覚禅師が洞窟でいつものように坐禅をしていると、時宗開祖の一遍上人が訪ねてきました。

一遍上人は、

「躍りはねて 伏してだにもかなわぬを いねむりしては いかがあるべき」

と問いかけます。

すると大覚禅師は、

「躍りはね庭に穂ひろう小雀は 鷲のすみかをいかが知るべき」

とやりかえしたといいます。


半僧坊大権現の周辺のカエデには、
翼果とよばれる実がたくさんついていました。


半僧坊大権現
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kentyoji-hansobo.htm
建長寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page138kentyoji.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html


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