別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年3月15日火曜日

扇谷上杉家の屋敷跡

室町時代に活躍する上杉氏は、六代将軍として鎌倉に迎えられた宗尊親王に従ってきた上杉重房が初代となります。

扇谷上杉管領屋敷跡碑
扇谷上杉の当主定正は、この地に館を建て「扇谷殿」と呼ばれていたそうです。
定正の時代の扇谷上杉家には家宰に太田道灌がいました。
道灌は多くの功績を残し扇谷上杉の地位を高めました。
道灌の屋敷は現在の英勝寺がある辺りであったと伝えられています。
のちに定正は、粕屋の館(伊勢原市)に道灌を誘き出し暗殺しています。

扇ヶ谷という地名は『吾妻鏡』には登場しないそうです。

1180年(治承4年)10月に源頼朝が鎌倉入りをしたときの記事でも、亀ヶ谷という地名が使用されていますので、この辺りの総称は「亀ヶ谷」と呼ばれていたものと考えられています。

扇ヶ谷という地名も鎌倉時代の後期頃から使われているようですが、海蔵寺から英勝寺辺りまでの狭い範囲だったといいます。

その後、上杉定正が住み「扇谷殿」と呼ばれるようになって、亀ヶ谷という地名がすたれたといいます。

上杉重房坐像
明月院の木造上杉重房坐像は鎌倉時代の作で、
国の重要文化財に指定されています(鎌倉国宝館に寄託)。
上杉重房は、六代将軍宗尊親王に従って鎌倉に来ました。
宗尊親王が鎌倉を追放された後も鎌倉に残り幕府に仕えます。
重房の孫清子は、足利貞氏の嫁ぎ尊氏直義を産みました。
三代後の憲顕は、鎌倉府の関東管領として活躍しています。


扇谷上杉管領屋敷跡
https://www.yoritomo-japan.com/page137kanrei-yasiki.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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