別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年2月2日水曜日

小動岬

小動岬(こゆるぎみさき)は、七里ヶ浜腰越の浜を分ける岩塊です。「小動崎」とか「小動の鼻」などと呼ばれてきました。

丘の上にある小動神社が「八王子社」と呼ばれていたことから「八王子山」と呼ばれていたこともあるようです。


江ノ電「腰越駅」から、漁村の雰囲気を残した街を抜けると七里ヶ浜の西の端です。

この辺りには、七里ヶ浜から腰越に入る「十間坂」という古道もありました。
新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場の一つでもあります。

小動神社の参道
国道134号線沿いからこの参道を上がると腰越の鎮守
小動神社です。

小動神社

小動岬の丘の上に建てられた神社。

文治年間(1185~90)、源頼朝の挙兵に功のあった佐々木盛綱が、江の島詣の際に立ち寄り、「小動の松」と呼ばれる美しい松に魅了され、父祖の領地である近江国から、八王子社を勧請したのがはじまりと伝えられています。


~佐々木氏~

佐々木盛綱は、近江国の宇多源氏の棟梁佐々木秀義の三男です。

秀義は平治の乱源義朝に味方して敗れ、奥州へ逃れる途中、渋谷荘の渋谷重国に匿われ、以後、20年余りを渋谷荘で過ごしたといいます。

秀義の子、定綱、経高、盛綱、高綱は、源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されていたときから、頼朝に仕えていました。

参考:早川城址
https://www.yoritomo-japan.com/hayakawa-jyosi.htm


小動岬からの江の島
南端にある展望台からは、腰越漁港と江の島を見渡せます。
https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm



『新編鎌倉志』によると、

風もないのに揺れる「小動の松」(こゆるぎのまつ)と呼ばれる美しい松があって、それにちなんで付けられたのが「小動」という地名だといいます。

また、『新編相模国風土記稿』では、

佐々木盛綱が、揺れる松を見て「小動の松」と名づけたことに由来すると伝えています。







七里ヶ浜

七里ヶ浜を鎌倉へ向かうと稲村ヶ崎です。

1333年(元弘3年)、鎌倉を攻めようとする新田義貞は、小動神社に立ち寄り、黄金の太刀と銀50枚を奉納して戦勝祈願を行ったといいます。

黄金の太刀は雌雄二振りあって、小動神社に納められたのは「雌太刀」だったといいます。
そして、稲村ヶ崎で海へ投じられたのは「雄太刀」ではないかともいわれています。



小動神社
https://www.yoritomo-japan.com/page139koyurugi.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html