「お地蔵さま」を「一番親しみのある仏さま」と思われる方は多いのではないでしょうか。
それは、子どものころから、野辺や路辺に「お地蔵さまのいる風景」を見てきたせいなのかもしれません。
「地蔵菩薩」は、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が誕生するまでの間、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道に分身して、それぞれの道で苦しむ者を救ってくれる仏さまとして信仰されてきました。
また、賽の河原で苦しんでいる子どもを救ってくれることから、古くから子どもを守ってくれる仏さまとしても信仰されています。
毎月24日は、お地蔵さまの縁日です。
つい最近まで各所に地蔵講が残されていて、4のつく日には信者が集まって法会が行われていたといいますが、今はどうなのでしょう。
宝戒寺では、7月の地蔵盆に「地蔵まつり」が行われています。
~伝説の地蔵菩薩たち:鎌倉~
(瑞泉寺)
瑞泉寺の地蔵堂に安置されている地蔵像は、もとは扇ヶ谷の智岸寺(廃寺)にあったお地蔵さまだと伝えられ、「どこも苦地蔵」と呼ばれて親しまれています。
そのむかし・・・
堂守が、どうにも生計が立たないので別の場所に移り住もうとすると、夢枕にお地蔵さまが現れて「どこも、どこも」と言ったそうです。
「どこに行っても苦しいのは同じ」ということをお地蔵さまは伝えたのだといいます。
瑞泉寺裏山の崖にある地蔵像です。
1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めの際に、一体の地蔵が現れ、自害した北条高時の首をもって逃げた家来を、この地に導いてくれたと伝えられています。
(極楽寺)
子どもたちを健康に育てるのに霊験あらたかなことから、「導き地蔵」と呼ばれ信仰を集めてきました。
このお地蔵さまの視野に入るところでは、子どもたちに災難が起きないといわれています。
(極楽寺)
極楽寺から少し奥に入った山裾に地蔵堂があります。
安置されている地蔵菩薩像(月影地蔵)は、月影ヶ谷の阿仏尼邸にあったものだと伝えられています。
息子の正当性を訴えるために鎌倉に来た阿仏尼と、この月影地蔵との間には、どのような関係があったのでしょうか・・・。
扇ヶ谷にある地蔵堂です。
このお堂に祀られている地蔵菩薩は、源頼朝の長女大姫の守り本尊だったといわれています。
大姫は、父頼朝によって討たれた木曽義高との悲恋がもとで亡くなりました。
網引地蔵
「矢拾い地蔵」は、浄光明寺の収蔵庫に安置されている像で、足利直義の守り本尊と伝えられています。
伝説によれば、戦のときに矢がつきてしまった直義に、矢を拾い集めてきた子どもの僧がいたそうです。
「網引地蔵」は、浄光明寺の裏山のやぐら内に安置されている像で、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き上げられたものだと伝えられています。
光触寺の本堂前の地蔵堂に安置されています。
「朝比奈峠を越えてやってきた塩売りが供えた塩を嘗めた」という伝説のあるお地蔵さんです。
当時は、六浦道の傍らにあったといいます。
六浦道(現在の金沢街道)は「塩の道」と呼ばれ、六浦から鎌倉に塩を運び入れる大切な道でした。
この他にも、
○建長寺の「斎田地蔵」(宝物風入のときに拝観できます。)と「心平寺地蔵」(参考:心平寺地蔵堂)
○裸像で知られている延命寺の「身代わり地蔵」
○由比ヶ浜大通り(長谷小路)の六地蔵(参考:長谷小路の散策(下馬~長谷寺))
○源頼朝が信仰した日金地蔵(横須賀の東漸寺に安置)
などの地蔵があります。
~閻魔大王と地蔵菩薩~
そして、お地蔵さまで忘れてはならないのは、死後の裁きを言い渡す閻魔大王です。
閻魔大王も、もとは地蔵菩薩です。
圓應寺の閻魔大王は、「子育て閻魔」と呼ばれています。閻魔堂の端に安置された「詫言地蔵」は、本人に代わって閻魔大王にお詫びしてくれるというお地蔵さまです。
地蔵まつりが行われる宝戒寺にも閻魔大王が祀られています。