頼朝は、1192年(建久3年)、妻政子の安産祈願のために、この地にあった常蘇寺に神馬を奉納し、祈祷を命じます。
しかし、生まれた子が夜泣きをするので、観音堂に祀られていた三面荒神に祈願すると夜泣きが止んだと伝えられています。
平安後期から鎌倉、南北朝時代と、約200年に亘ってこの地を治めた、城所氏の鎮守として創建されたと伝えられています。
1192年(建久3年)、源頼朝は、妻政子の安産祈願のため、貴船神社境内にあった常蘇寺に祈祷を命じます。
無事に生まれた子がのちの三代将軍源実朝です。
📎政子安産の祈願所
荒神さまは、常蘇寺の観音堂に祀られていたといいます。
別名を「泣き荒神」といいます。
源頼朝は、生まれた子が夜泣きをするので、この荒神さまに祈願したところ、夜泣きが止んだと伝えられています。
三面大荒神社の前に置かれた牛の石像は、日露戦争のときに牛を奉納した記念に建立したものなのだそうです。
平塚市のホームページ「ひかつか図鑑」によると・・・
牛は関東大震災後に行方不明になり、翌年から村に疫病が流行しました。
捜しても見つからないので、おきぬさんという祈祷師に見てもらうと、お告げのあった場所から牛が掘り出され、三面大荒神に納めました。
すると、疫病はピタリと止んだといいます。
このように、牛の石像にはあらたかな霊性が込められています。
貴船神社の裏からは美しい大山が望めます。
~城所城の跡~
浄心寺
貴船神社の近くにある曹洞宗の寺です。
この寺の背後に城所城があったと伝わっています。