別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年11月3日木曜日

盗まれた東寺宝蔵の仏舎利と源実朝




1216年(建保4年)2月5日、東寺宝蔵に納められていた仏舎利や仏教道具が盗まれ、9日には五畿七道に盜人を探し出すよう宣旨が下されます。

宣旨には、

「舎利は釈尊の身の一部、仏具はインドから中国、そして日本へと伝えられた三国伝来の霊宝。

これらが盗まれたことで、仏法が衰退して、国家を守る力が失われる」

と書かれていたようです。


その宣旨は、2月19日、鎌倉の源実朝のところにも届きました。

実朝は三善善信に朝廷の命令を御家人に伝えるよう命じています。


そして、2月29日、東山の新日吉社付近で藤原秀能と藤原秀康が盗人を捕獲。

仏舎利と仏教道具は、3月9日に東寺に返されたのだといいます。



円覚寺舎利殿

日本では仏教伝来後、仏舎利信仰が広まっていきます。

源実朝も仏舎利信仰者で、宋国より仏舎利を請来しました。

現在、その仏舎利は円覚寺舎利殿に祀られています。



源実朝


東寺

円覚寺







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2022年11月2日水曜日

鶴岡八幡宮の神矢に討たれた土屋義清~和田合戦~




鎌倉時代、鶴岡八幡宮太鼓橋は朱塗りで「赤橋」と呼ばれていました。


1213年(建暦3年)5月3日、前日に北条義時を討つために挙兵した和田義盛は、由比ヶ浜若宮大路で激戦を繰り広げていました。

そんな中、土屋義清は甘縄から亀谷(壽福寺前)に入り、窟堂前を経て御所を目指します。

しかし、赤橋の傍らで流れ矢を受けて討死。

矢が北から飛んできたことから神の矢と噂されたのだとか。

この少し前、北条泰時から合戦の状況を伝えられた源実朝は、戦勝を祈願するために鶴岡八幡宮に和歌を奉納していました。




土屋義清は岡崎義実の子で、壽福寺の本願主でした。

義清の遺体は壽福寺に葬られたそうです。



和田合戦

和田義盛

朝比奈義秀


鶴岡八幡宮






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朝比奈義秀の猛威~和田合戦~


朝比奈義秀:『前賢故実』より
~国立国会図書館デジタルコレクション~



朝比奈義秀は、侍所別当和田義盛の三男。

安房国朝夷郡を所領としたことから朝比奈を名乗ったのだといいます。

母は不明ですが、『源平盛衰記』では木曽義仲に仕えた女武者・巴御前が産んだのだとされています。

1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした北条義時への反乱では、めざましい奮戦をみせた武将です。


『吾妻鏡』によると・・・

5月2日、挙兵した和田軍は御所を攻めます。

御所に乱入した朝比奈義秀の猛威は「神の如し」で、戦った者は死を免れることはできず、五十嵐小豊次・葛貫三郎盛重・新野左近将監景直・礼羽蓮乗らが命を落としたのだといいます。


高井重茂(和田義茂の子)は、弓を捨てて轡を並べ、雌雄を決しようとします。

馬上で組み合った二人はそのまま落馬し、重茂は討ち取られてしまいます。

義秀が乗馬する前に北条朝時が刀で襲い掛かりますが、かなわず傷を負わされてしまいます。


(御所跡)


足利義氏は、政所前の筋替橋付近で義秀と遭遇。

義秀に鎧袖を掴まれますが、義氏が馬に鞭を打って堀を飛び越えると、鎧袖がちぎれ落馬もせずに逃れることができたのだといいます。




武田信光は、若宮大路の米町口(下の下馬橋付近)で義秀と遭遇。

両者は睨み合って戦おうとしますが、信光の子信忠が身代わりになろうと割って入ります。

父に代わって死を選んだ信忠に感じ入った義秀は、戦わずして走り去ったのだといいます。

のちに信忠は、北条泰時に「皆朝比奈義秀の武威を怖れ、ある者は出会わないように行動し、ある者は見かけただけで逃げ去り、義秀に遭遇することは不幸だと考えていました」と述べています。




☆ ☆ ☆ ☆ ☆



若宮大路琵琶橋も激戦地になったようです。

『吾妻鏡』には記されていないようですが、八田知家の四男宍戸家政が義秀と戦って討死したのだといいます。





和田義盛

朝比奈義秀

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源頼朝が祈願した智満寺~頼朝杉の源頼朝像が完成!~




智満寺は、771年(宝亀2年)創建と伝えられる天台宗の古刹。

1159年(平治元年)の平治の乱に敗れて伊豆国に流された源頼朝は、智満寺に参籠して源氏再興を祈願したのだと伝えられ、1189年(文治5年)には、千葉常胤に命じて本堂を再建したのだといiいます。


本尊は千手観音



現在の本堂は、徳川家康の再建で国の重要文化財。


頼朝杉

智満寺には頼朝のお手植えといわれる頼朝杉が聳えていました。

残念ながら2012年(平成24年)に倒木してしまいましたが、2015年(平成27年)に頼朝杉の一部は弥勒菩薩像として蘇り、2022年(令和4年)には源頼朝の尊像が完成しました。

頼朝像は、頼朝が武家の都の中心に据えた鶴岡八幡宮に奉納される予定です。





枯れぬ木はなお頼みあり一切衆生

枯るとも花は咲かせてやみん







智満寺の頼朝杉と源頼朝像


源頼朝像公開


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