別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年7月28日木曜日

後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵




大原陵は、

承久の乱で隠岐に流されて1239年(延応元年)2月22日に崩御した後鳥羽上皇と、

同じく佐渡に流されて1242年(仁治3年)9月12日に崩御した順徳上皇の陵墓。




法華堂


後鳥羽上皇の遺骨は、水無瀬殿の一部を移して建立された法華堂に納骨されていたそうです。

その法華堂は1736年(享保21年)に焼失。

文久年間(1861-1864)の修陵の際に後鳥羽天皇陵が十三重塔に、明治に入ってから順徳天皇陵が円丘に治定されたのだといいます。








後鳥羽上皇


承久の乱

北条政子の言葉~承久の乱~








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2022年7月27日水曜日

源頼朝の三男・貞暁と北条政子~高野山にある源氏三代の墓~





高野山の西室院にある三基の五輪塔は、源頼朝の三男貞暁が頼朝・頼家・実朝の供養のために建てたものと伝えられています。


貞暁は1186年(文治2年)生まれ。

母は大進局。

頼家実朝とは異母兄弟。

鎌倉に住んでいたようですが、1192年(建久3年)、北条政子の嫉妬により仁和寺に入れられ、1208年(承元2年)、北条義時の手が迫ったため高野山に逃れたのだと伝えられています。


1218年(建保6年)、上洛した政子と面会した貞暁は・・・

頼朝から拝領した短刀で左目をえぐり出し、将軍家を継ぐ意思などないことを示したそうです。

以後、政子貞暁に帰依するようになり、源氏一族の菩提を弔わせるための援助を行ったのだとか。







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2022年7月26日火曜日

北条政子の発願で建立された高野山:金剛三昧院




金剛三昧院は、1211年(建暦元年)、北条政子の発願で源頼朝の菩提を弔うために建立された禅定院に始まる寺院。

1219年(承久元年)、暗殺された源実朝の遺骨が納められ、金剛三昧院に改称されたのだといいます。

実朝の死後、出家して高野山に入った安達景盛が伽藍整備を行ないました。



国宝の多宝塔は、石山寺多宝塔に次ぐ古さ。







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2022年7月24日日曜日

建礼門院徳子の隠棲地~京都大原:寂光院~




建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の后、安徳天皇の母。

壇ノ浦の戦い後、寂光院に隠棲して平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら暮らしたのだといいます。



建礼門院御庵室跡





1213年(建保元年)12月13日に崩御した建礼門院徳子の陵墓。








壇ノ浦の戦い


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2022年7月21日木曜日

弾劾状に名がない北条時政と北条義時~梶原景時の変~


『吾妻鏡』によると・・・

梶原景時を弾劾する訴状に署名した者の中に北条時政北条義時の名が連ねられていないようです。

何故なのでしょうか?


九条兼実の日記『玉葉』によると・・・

梶原景時に讒言されたのは結城朝光ではなく時政。

その理由は、

源頼家の弟千幡(のちの実朝)を担ぎ出し、頼家を討とうとする企みがあったから」


遠い都で何が起こったのか把握できるのかという意見もあるのかもしれませんが、関係のない都の者だからこそ真実を書けるということも・・・

『吾妻鏡』は、北条氏に有利に描かれていると言われますが、「梶原景時の変」についても、真実を隠してしまっている可能性は十分にあり得ます。


参考までに、その後の流れをみてみますと・・・

梶原景時が討死してから3年後の1203年(建仁3年)、北条時政比企能員を暗殺し、その一族と頼家の子一幡を滅ぼしています(参考:比企能員の変)。


参考までに、この事件の直前に阿野全成が謀叛の罪で殺されています(参考:阿野全成の誅殺)。

比企能員の変によって頼家修禅寺に流され、翌年暗殺されました。

頼家が殺されたことについて・・・

九条兼実の弟慈円が書いた『愚管抄』には、

「頼家は、乳母夫を務め、一の郎等であった梶原景時を見殺しにしなければ、このようなことにはならなかった」

と書かれているようです。



梶原景時


梶原景時の変

梶原景時・景季の最期








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