別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年5月4日水曜日

源義経が源頼朝に追放された日。




一ノ谷屋島壇ノ浦の戦いで活躍し、平家を滅亡させた最大の功労者のはずだった源義経ですが・・・

源頼朝の推挙なくして、朝廷から左衛門少尉の任官と検非違使の宣旨を受けてしまったことで怒りをかってしまいます。

さらに、頼朝のもとには、梶原景時の「合戦の手柄を自分一人のものとしようとしている」という書状や平時忠の娘(蕨姫)を娶ったという情報が寄せられます。

源範頼からも義経の越権行為に対する苦情が寄せられていたようです。

その他にも、義経に対する御家人の不満が頼朝のもとに届く中、1185年(元暦元年)5月4日、頼朝は畿内西国の御家人に「義経に従ってはならぬ」という命を下しました。

数日後、義経は平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとしますが、頼朝は鎌倉に入る事を許しませんでした。



一ノ谷の戦い

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い


源義経の腰越状

源義経







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2022年5月3日火曜日

甲斐源氏武田の粛清~一条忠頼を成敗した天野遠景:鎌倉殿の13人~


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第十七話では、武田信義の嫡男一条忠頼が、木曽義高と結んで謀反を企てたとして成敗されましたが・・・


『吾妻鏡』によると・・・

一条忠頼の謀反(木曽義高は関係ありません。)を察知していた源頼朝は、御所で暗殺することにします。

1184年(元暦元年)6月16日夜、招かれた忠頼は頼朝の正面に座ります。

その周りには数人の御家人が座っていました。

暗殺を命じられたのは工藤祐経

酌をしながら暗殺を実行しようとしていたようですが・・・

躊躇しているので、小山田有重が祐経から銚子を取り上げ、子の稲毛重成と榛谷重朝が杯と肴を持って忠頼の前に進み出ます。

そして、有重は息子たちに給仕の際の袴の裾のくくり紐の結び方について語り、紐を結びなおします。

それに見とれていたを忠頼の左側に天野遠景が太刀を持って近づき、あっという間に殺害してしまったのだといいます。


参考までに・・・

これより3年前の治承5年3月7日、武田信義は謀反を疑われています。

理由は、後白河法皇が信義に頼朝追討の宣旨を下すという噂が流れたため。

この時、信義は起請文を書いているようです。






武田信義

工藤祐経

天野遠景









☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


白旗神社のシロフジ「義経藤」2022/05/03



源義経を祀る白旗神社のシロフジは「義経藤」と呼ばれています。








今日は、白旗神社フードパークが開催され、賑やかでした。






☆ ☆ ☆ ☆ ☆

一ノ谷の戦い

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い


源義経

源義経に臣従した武蔵坊弁慶







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


源頼朝の娘大姫と殺された木曽義高


入間川



1184年(寿永3年)1月20日、木曽義仲源頼朝が派遣した範頼義経に攻められ近江国粟津で討死しました。

この前年、頼朝と対立した義仲は、嫡男義高を鎌倉へ人質として差し出すことで和睦。

義高は、名目上、頼朝の長女大姫の婿ということで鎌倉に送られてきていました。

大姫は義高によく懐いていたのだと伝えられています。


木曽義仲の墓
(大津市:義仲寺)

義仲寺は木曽義仲が葬られた地に建てられた寺。

境内には義仲の墓巴塚があります。


木曽義仲の首塚
(京都:八坂の塔)

粟津で討たれた義仲の首は、六条河原に晒された後、家臣によって葬られたのだと伝えられています。

八坂の塔の境内には首塚があります。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によれば・・・

義仲を討った頼朝は、人質の義高を殺すことに決めます。

頼朝は、このことを近しい者に仰せ含めますが・・・

それを聞いていた女房らによって内々に大姫に知らされます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~大姫、義高を逃がす~

1184年(元暦元年)4月21日の夜明け前、大姫は義高に女装をさせ、大姫の女房達が義高を囲んで屋敷から出しました。

馬は、他の場所に隠してありました。

馬蹄には真綿が巻かれ、蹄の音を人に聞かれないようにしてあったといいます。

義高の寝床には、海野小太郎幸氏が臥し、日が昇ると、双六をして義高がいるふりをしていました。

しかし・・・

晩になってばれてしまいました。


怒った頼朝は、幸氏を捕らえ、堀親家以下の者に義高を見つけ出し討ち取るよう命じます。

大姫は、あわてふためき、魂が消えてしまうほどだったといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~義高が誅殺される~

それから5日後の4月26日、堀親家の郎従藤内光澄が戻り、入間河原で義高を誅殺したことが報告されます。

そのことを知った大姫は嘆き悲しみ、水も喉を通らなくなりました。

北条政子も大姫の心中を察して、義高の死を嘆き悲しみ、御所中の多くの男女が悲しみにひたったといいます。


(狭山市)

清水八幡宮は木曽義高を祀る神社。


木曽塚
(鎌倉:常楽寺)

常楽寺の裏山にある木曽塚は、木曽義高の首塚と伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~政子、藤内光澄を斬罪に処す~

その後大姫は、病床に伏し、日毎に憔悴していきました。

6月27日、政子は、大姫が病気になったのは義高を殺した藤内光澄の配慮が足りなかったとして斬罪に処したと伝えられています。


(鎌倉)

大姫は、この時の病気が治らないまま、1197年(建久8年)7月14日にこの世を去っています。

岩船地蔵堂は大姫の守り本尊を祀る堂と伝えられています。




大姫


木曽義高の誅殺


歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com