別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年3月28日月曜日

源頼家の誕生


二代将軍源頼家は、1182年(寿永元年)8月12日に誕生しました。


源頼家像


『吾妻鏡』によれば・・・

1182年(養和2年)3月9日、政子が懐妊し、安産祈願としての「着帯の儀」が執り行われました。

帯は千葉常胤の妻が用意し、子胤正が献じています。

頼朝自らが帯を締め、丹後局が手伝いをしたといいます。
(丹後局は、頼朝の乳母だった比企尼の娘で、安達盛長の妻です。)


3月15日、頼朝は、以前より考えていた若宮大路の造営にとりかかります。

なかなか着手できないでいたのですが、政子の安産祈願のために始められました。

頼朝自らが指揮し、北条時政らの御家人が土や石を運んだといいます。


若宮大路

段葛


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

7月12日、出産間近となった政子は、産所とした比企ヶ谷の比企邸へ移ります。

御産の間の雑事の奉行には、梶原景時が任命されています。


妙本寺

総門前には、比企能員邸跡の石碑が建てられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

8月11日、夜になって政子が産気づくと、頼朝は比企邸に赴き、祈祷のための奉幣の使者を伊豆山権現箱根権現と近国8箇所の宮社に派遣しています。


伊豆山神社
(熱海)

箱根神社
(箱根)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

翌8月12日午後6時頃、無事に男児が生まれると・・・

悪魔払いのため、大庭景義らによって「鳴弦」が、上総広常によって「引目」の儀式が行われます。

そして、午後8時頃、乳母になる河越重頼の妻が呼ばれ、初めて乳を与える儀式が行われました。
(河越重頼の娘は、頼朝の乳母だった比企尼の娘です。)


8月13日、宇都宮朝綱畠山重忠、土屋義清、和田義盛梶原景時梶原景季、横山時兼が「護り刀」を献上しています。

その他、御家人たちが献上した馬は、200頭にもなったといいます。

これらの馬は、鶴岡八幡宮をはじめとする神社に奉納されています。

その後、三夜・五夜・七夜・九夜の儀式が執り行われています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~政子の妊娠中に浮気をしていた頼朝~

頼朝は、政子が妊娠中の6月1日、妾の亀の前を小坪の小中太光家宅に住まわせています。
その後、小坪から飯島の伏見広綱の屋敷に移させ寵愛していました。

しかし、11月10日、このことが政子にばれてしまい、政子は広綱の屋敷を破壊させています。

参考:小坪路 鐙摺山(葉山) 浮気発覚!”政子激怒


源頼家








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

伊豆山神社

三嶋大社

箱根神社

箱根三社参り


富士裾野の巻狩り

比企能員の暗殺・比企氏滅亡


伊豆・箱根


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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頼家誕生・頼朝の浮気発覚~鎌倉殿の13人第十二話~


第十二話では、政子比企邸でのちの頼家を出産しますが、頼朝の浮気が発覚。

激怒した政子が亀の前の屋敷を打ち壊させ、時政が伊豆へ引き上げるという事件に発展。

八重姫江間郷へ移り、義時は鎌倉と伊豆を往復する日々を送るようになったようです。

次回は木曽義仲が登場。



宗悟寺
(東松山市)

宗悟寺は、鎌倉幕府二代将軍源頼家の側室若狭局が、伊豆の修禅寺で暗殺された頼家の追福のため、比丘尼山に建立した壽昌寺を始まりとしているのだと伝えられています。

若狭局は、1203年(建仁3年)に北条時政に滅ぼされ比企能員の娘。

宗悟寺の周辺が能員の館跡だとされています。


岩殿観音
(東松山市)

正法寺は、718年(養老2年)の創建。

坂東三十三箇所の十番札所で、岩殿観音の名で知られています。

鎌倉時代、頼朝は武蔵国比企郡を領した比企能員に命じて復興させています。


妙本寺

頼朝は、流人時代に世話になった比企尼を鎌倉に迎え入れますが、妙本寺祖師堂の辺りに比企尼の屋敷があったのだといいます。


(鎌倉市)

段葛鶴岡八幡宮の参道。

頼朝が政子の安産祈願のために造営を始めたのだと伝えられています。








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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2022年3月27日日曜日

北条政子が源頼朝の愛人亀の前の家を破壊!


源頼朝の愛人亀の前は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、房総半島の漁師の娘で、頼朝が鎌倉に連れてきたようですが・・・

『吾妻鏡』によると、良橋太郎入道という人物の娘で、頼朝が伊豆の流人だった頃から寵愛していたのだといいます。


1182年(養和2年)3月、源頼朝の妻北条政子が懐妊します。

すると・・・

頼朝は、亀の前を鎌倉に呼び寄せ、小坪の小中太光家の屋敷に住まわせています。

『吾妻鏡』によると6月1日のことのようです。

小坪は、由比ヶ浜に「みそぎ」に行くといって出かけるのに都合がよかったのだそうで・・・。


亀の前は、器量がよいばかりでなく、心の柔和な女性だったので、前年の春頃から頼朝の寵愛が激しさを増していたのだとか。

その後、頼朝は、小坪では遠いと考えたのか、飯島の伏見広綱の屋敷に亀の前を移します。



小坪漁港

逗子マリーナ

小坪は現在の逗子市。

相模湾に面し、小坪漁港や逗子マリーナがあります。

小中太光家とは・・・

石橋山の戦いにも参陣した中原光家のことです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


幸せな時を過ごしていた頼朝でしたが・・・

10月17日、政子と誕生した頼家が産所の比企ヶ谷から御所に戻ってきました。

すると、牧の方北条時政の後妻・政子の継母)が、わざわざ頼朝の浮気の次第を政子に話してしまいます。

激怒した政子は、牧の方の父牧宗親に広綱の屋敷を破壊するよう命じます。

そして、11月10日、広綱の屋敷は打ち壊されました。

広綱は、亀の前を伴って鐙摺の大多和義久の家に逃げ込んだそうです。


さて・・・頼朝はどうしたか・・・

政子の仕打ちに怒った頼朝は、12日に宗親を引き連れて義久の家を訪れ、広綱に事情を尋ねた上で宗親を詰問します。

宗親は弁明できず陳謝しますが、頼朝は許すことはできず、宗親の髻(もとどり)を切ってしまいました。

武士にとって髻を切られるということは最大の恥辱です。

宗親は泣く泣く逃げ帰ったそうです。

そして、頼朝は亀の前の所に泊まっています。



飯島は現在の鎌倉市材木座。


(葉山町)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


この事件は、これで終わりではありません。

頼朝は、14日の晩に鎌倉へ帰ります。

しかし、この日、頼朝の宗親への仕打ちに怒った北条時政が伊豆に引きあげてしまいます。

頼朝は、この行動を快く思わなかったようですが、どうすることもできないでいたようです。

ただ、鎌倉に残った北条義時を呼びつけて、なにやら話をしてたようですが・・・。


ところが・・・

懲りない頼朝は、12月10日、亀の前を再び小中太光家の屋敷に住まわせています。

亀の前は、政子の嫉妬を恐れていたようですが、頼朝は亀の前の言葉に耳を貸しませんでした。


一方の政子は、12月16日、伏見広綱を亀の前を匿った罪で遠江国に流しています。

その後、この夫婦喧嘩がどのようになったのかは定かではありません。

(流された広綱はどうなったのでしょう・・・?亀の前は・・・?)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(伊豆の国市)

仲が良さそうな頼朝と政子の像ですが・・・

すでに、頼朝には愛人がいたのですなぁ~。








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石清水八幡宮で元服した木曽義仲~平家物語~


『平家物語』によると・・・

木曽義仲は2歳の時に父の源義賢が源義平に討たれてしまいます。

母の小枝御前(さえごぜん)は、幼い義仲を抱いて信濃国へ。

そして、中原兼遠に義仲を育ててくれるよう頼んだのだといいます。


兼遠に育てられた義仲は、先祖の源頼光や源義家に勝るとも劣らない武将に成長して13歳で元服します。

兼遠に連れられて源氏の氏神である京都の石清水八幡宮に参った義仲は、

「我が四代の祖父義家朝臣は御神の前で元服して八幡太郎と号した。

我もそのあとを追うべし」

と言って宝前で髪を結い上げて木曽次郎義仲となのったのだとか。

内裏にも参って平家の振舞いなどを見てきた義仲は、ある時、兼遠にこう話したそうです。

源頼朝は相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野を討ち従えて東海道から京へ攻め上ろうとしている。

我も東山道・北陸道を従えて、一日でも先に平家を滅ぼして、日本国に二人の将軍と仰がれたい」と。

兼遠は喜んで、

「私はそのためにあなたをお育てしてきたのです。

そのように仰せられるのは、やはり八幡殿の末裔なのかと・・・」

と話し、挙兵の準備に取り掛かったのだとか。



石清水八幡宮
(京都)

石清水八幡宮は、平安京の裏鬼門の守護神。

源氏は氏神として信仰しました。





(義仲館)





木曽義仲

木曽義高

巴御前

今井兼平








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


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木曽義仲と巴御前の像




木曽町の資料館「義仲館」にある木曽義仲巴御前の像。

義仲は武蔵国大蔵館(埼玉県)で生まれますが、2歳の時に父の義賢が討たれると、信濃国木曽谷の中原兼遠に育てられました。

女武者として知られる巴御前は、義仲の妾だったのだといわれ、兼遠の娘とも伝えられています。




義仲館の仲にも義仲と巴






木曽義仲

木曽義高

巴御前

今井兼平








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