別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年2月11日金曜日

休止となってしまった曽我梅林の流鏑馬




毎年、曽我梅林で開催されてきた流鏑馬ですが、「曽我梅まつり実行委員会」が解散してしまったため、今年から休止となってしまいました。

曽我梅林の流鏑馬は、曽我を本拠として源頼朝に仕えた曽我祐信が弓馬の達人だったことから始められたそうです。

曽我梅林は観光施設ではなく農業生産の場ですので、協力体制の確保が難しいかと思いますが、何とか復活させて頂きたいものです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


曽我祐信は、仇討ちで知られる曽我兄弟の養父。

1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵時には大庭景親に味方しますが、のちに御家人として仕えました。



(城前寺)

曽我兄弟は、1176年(安元2年)、工藤祐経に暗殺された河津祐泰の子。

母の満江御前が曽我祐信に再嫁したため、曽我の地で育ちました。



城前寺は曽我兄弟の菩提寺。




梅は3分咲き程度のようです。



曽我梅林







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

吾妻山:菜の花

あたみ桜

松田町の河津桜

頼朝桜まつり~鋸南町~


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2022年の大河ドラマ
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歴史めぐり源頼朝


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2022年2月9日水曜日

大庭軍にありながら頼朝を救った梶原景時~石橋山の戦い~


石橋山の戦いに敗れて土肥山中に逃げ込んだ源頼朝を追う大庭軍の中に、のちに頼朝の片腕ともなる梶原景時がいました。

『吾妻鏡』によると、

景時は、頼朝の所在を知っていながら、「この山には人はいない」といって、大庭景親の手を曳いて傍らの山に上っていったといいます。


この間、頼朝は髷の中の正観音像を岩窟の中に置きます。

土肥実平がどうしてか尋ねると、

「景親ら平氏に首を討たれるときに、この正観音像を見ると、源氏の将軍らくしくないと非難される」

という理由だったといいます。



毎年4月に開催される湯河原町の土肥祭では「源頼朝の旗揚げ武者行列」があります。

源氏の白旗がなびく中、一人だけ平家の赤旗なのが梶原景時




源頼朝挙兵


石橋山の戦い


熱海と源頼朝の伝説

湯河原・真鶴の源頼朝伝説







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2022年の大河ドラマ
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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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まつだ桜まつりが始まります。~松田町:西平畑公園~


松田町は源頼朝の異母兄朝長が生まれ育った地。

西平畑公園には、斜面に約360本の河津桜が植えられ、例年、2月中旬頃から見頃を迎えます。




桜まつりは、当初1月29日(土)~2月20日(日)が予定されていましたが、開花が遅れていることから、2月11日(金・祝)~3月6日(日)に変更されています。


入園料300円。
(6歳以上18歳未満は100円)


桜まつりパンフレットは、このページからダウウンロードできます。
 ↓
https://letsgo-matsuda.com/?page_id=3254



☆ ☆ ☆ ☆ ☆

近くには・・・


松田城は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵に敵対した波多野義常が築いたことに始まります。

頼朝の兄朝長は、義常の叔母が産みました。



寒田神社の周辺には、朝長が生まれ育った松田亭があったのだと伝えらえています。



松田町の河津桜








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源頼朝を逃がした飯田家義~石橋山の戦い~


1180年(治承4年)8月24日未明、石橋山の戦い源頼朝の大敗に終わりました。

頼朝を戦場から逃したのは、相模国鎌倉郡飯田郷を本拠していた飯田家義。

家義は、頼朝に加勢するつもりでしたが、前方を大庭景親に後方を俣野景久に塞がれてしまったため、止む無く平家方に付いて行動していたのだといいます。

頼朝が大敗すると、六騎を景親と戦わせ、この間に頼朝を逃がしたのだと伝えられています。


その後、頼朝が落とした数珠を持って駆けつけます。

この数珠は、頼朝が普段から持ち歩いていたもので、狩りなどで相模国の武士達は皆この数珠を見知っていたといいます。

それを家義が探し出して持ってきてくれたので、頼朝は大いに喜びました。

家義は供を願い出ますが、土肥実平に「大人数では山中に隠れているのが難しい」と説得され、泣く泣くその場を退去したのだとか。



(飯田城址)

横浜市泉区の富士塚公園は、飯田家義の館があった場所と伝えられています。




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