別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年1月27日木曜日

源実朝が暗殺された日。


1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮では源実朝の右大臣拝賀式が行われました。

この日は晴れていましたが、夕刻になって雪となり7,80㎝積もったそうです。


雪の鶴岡八幡宮


『吾妻鏡』によると・・・

大江広元実朝に、

「私は成人してから涙を浮かべたことがありませんでした。

しかし今、涙を止めることができません。

これはただ事ではありませんので、何か起こるかもしれません。

東大寺供養の際の頼朝様の例にならって、束帯の下に腹巻(鎧)を着けていかれるとよいでしょう」

と言いました。

しかし、源仲章は

「大臣大将にまで昇った人で、未だそのような式に出た人はありません」

といって止めたのだといいます。


実朝の髪を梳かしていた宮内公氏は、一筋の髪の毛を記念にもらったそうです。

そして、庭の梅の木を見た実朝は、

「出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ」

(主人のいない家になってしまうが、花を咲かせることを忘れるな)

と詠んだのだそうです。


雪の鶴岡八幡宮


実朝は午後6時頃、雪の中を鶴岡八幡宮へと出発します。

南門を出るときには霊鳩が鳴きさえずっていたといいます(源氏にとって鳩は特別な鳥です。)。

車から降りるときには、刀を折ってしまったそうです。


雪の鶴岡八幡宮


参拝を終えた実朝が石段の上にさしかかると、甥で鶴岡八幡宮の別当だった公暁が襲いかかります。

「父の敵を討った」という名乗りをあげたのを聞いた者がいるともいいます。

石段下にいた御家人がすぐに駆けつけますが、すでに公暁の姿はありませんでした。


実朝の首を取った公暁は、後見人の備中阿闍梨の雪ノ下北谷の家に行き、食事の間も実朝の首を放さなかったといいます。

そして、公暁の乳母子弥源太を三浦義村邸に遣わし、

「今、将軍の席が空いた。次は自分が将軍となる順番だから、早く方策を考えよ」

と指示しています。


これに対し、義村は、すぐに屋敷に来るよう伝える一方で、北条義時に連絡をとっています。

義時から公暁を殺すよう命ぜられた義村は、長尾定景を差し向けます。

山越えをして義村邸に向かっていた公暁は、定景によって討ち取られ、首は義時邸に運ばれたということです。


公暁がどこに葬られたのかは不明です。

また、公暁が持っていた実朝の首の行方も定かではありません。




翌日、実朝の亡骸は勝長寿院に葬られました。

首がないので代わりに髪の毛が棺に納められたのだといいます。


(秦野市)

秦野市には実朝の首が埋葬されたという場所があります。

公暁が持ち去った実朝の首は、三浦義村の家臣武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼ってこの地に葬られたのだと伝えられています。



実朝の妻・坊門信子は壽福寺で出家し、京へ戻って実朝の菩提を弔うために大通寺を創建しました。



源実朝の暗殺

源実朝が暗殺された日

北条義時と戌神将の伝説







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮



☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


2022年1月26日水曜日

源頼朝の挙兵!その1~山木館の絵図が完成~


1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を決意した源頼朝は、まず、伊豆国目代の山木兼隆を討ち取ることにしますが、山木館は要害の地にあって攻めるのに困難を極めると推測されていました。


『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)8月4日、密偵として山木館に送り込んでいた藤原邦通が、作成した山木館と付近の絵図を頼朝に届けます。

その出来映えは、まるで現地にいるかのようなものだったといいます。

頼朝は、北条時政を呼んで邦通の絵図をもとに山木館襲撃の軍略を練りました。


邦通は、安達盛長の推挙で頼朝に仕えるようになった公家。






源頼朝挙兵

山木館襲撃~源頼朝の挙兵~







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝配流の地・北条氏発祥の地

北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~

伊豆・箱根


歴史めぐり源頼朝

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2022年1月25日火曜日

源頼朝が源氏再興を祈願した三嶋大社と頼朝伝説


三嶋大社


伊豆国一之宮の三嶋大社

伊豆に流されていた源頼朝は、源氏再興を祈願するために百日間の日参をしたのだといいます。


相生松

一つの根から赤松と黒松が生えている相生松のある場所は、安達盛長が日参する頼朝を警護した所なのだといいます。


源頼朝・北条政子の腰掛石

神馬舎横に置かれている石は、日参の源頼朝北条政子が休息のために腰を掛けた石なのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(伊豆の国市)

三嶋大社への途次には茶店があったそうです。

成願寺は、頼朝が餅売りの嫗(おうな)のために建立したという寺。


(三島市:右内神社)

右内神社は、三嶋大社の随神門として鎮座する社。

三嶋大社に日参していた頼朝が度々立ち寄っていたのだとか・・・


(三島市)

三嶋大社に参詣の頼朝は、疲労のため路傍の祠の松の根もとで仮眠をとったのだといいます。

以来、松は「まどろみの松」と呼ばれ、祠は間眠神社と呼ばれるようになったのだとか。


(三島市)

妻塚観音堂は、大庭景親の妻が祀られている堂。

頼朝を暗殺しようとした景親は、誤って妻を殺してしまったのだとか。



(三島市)

三嶋大社に参詣する頼朝の後を衝けてくる怪しい女。

頼朝が腕を切り落とすと・・・地蔵尊だった・・・


(三島市)

願成寺は、三嶋大社に日参する頼朝が宿舎とした庵が始まりなのだとか。


(三島市:宝鏡院)

宝鏡院の「笠置の石」は三島七石の一つ。

源頼朝三嶋大社に参詣する折に笠を置いたのだとか・・・


(三島市)

三嶋大社に日参していた頼朝は、宗徳院にも詣でたのだといいます。

宗徳院の延命地蔵尊は、頼朝の祈願仏だったのだとか。


(三嶋大社前)

三嶋大社へ日参した頼朝は、この井戸の水で喉を潤したのだとか・・・

(三島市)

法華寺には写経した般若心経が奉納されたのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵します。

この日は三嶋大社の祭礼の日でした。

伊豆国の目代山木兼隆を討って相模国に進んだ頼朝は、石橋山の戦いで敗れはするものの、安房国で再起して10月6日(7日とも)に鎌倉入り、見事に源氏再興を果たしています。


三嶋大社




源頼朝配流の地・北条氏発祥の地

北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~


山木館襲撃~源頼朝の挙兵~

源頼朝挙兵








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


源頼朝の兄・悪源太義平の最期


『平治物語』によると・・・

1159年(平治元年)12月27日、平治の乱平清盛に敗れて都を落ちた源義朝は、源義平・源朝長・源頼朝・源重成・平賀義信・鎌田政清・金王丸の僅か八騎で東国を目指します。

美濃国の青墓宿に着くと、義平は義朝の命で東山道を下って東国を目指しますが・・・

1月3日、東海道を下った義朝が、尾張国野間長田忠致の裏切りで暗殺されてしまいます。

飛騨国に下っていた義平は、大勢を味方に付けて東山道から京へ攻め上るつもりでいましたが、義朝が討たれたと聞くと、家来が皆心変わりをして去ってしまったことから、自害を考えます。

しかし、ここで無駄死するくらいなら、清盛父子の一人でも討って無念を晴らそうと考え直します。


京都に戻った義平は、義朝の家臣で平治の乱後に平家の使用人となっていた丹波国の志内景澄を頼って、景澄の下人として六波羅に入り、平家の様子を窺っていましたが・・・

景澄の膳を使用人が食べ、使用人の飯を景澄が食べていたのを家主に見られてしまいます。

「あの下人は義平に違いない」と感じた家主は平家に通報。

1月18日、難波経遠の三百騎余りに押し寄せられてしまいました。

その場を逃れた義平は、近江国の石山寺のあたりに隠れていましたが、1月25日、難波経房の郎党に生け捕りにされ、六波羅へ連行されました。


死罪となった義平は、六条河原で難波経房に斬られますが・・・

刑場で義平が、

「己は義平の首を討つほどの者なのか?

晴れの舞台なのだから上手に斬れ!

もし、下手に斬ったならば、己の面に食らいつくぞ!」

と言うと経房は、

「首を斬られた者が、どうやって喰らいつくのだ」

と返します。

義平は、

「今ではない!あとで雷となって蹴り殺してやる!」

と言い残したのだとか。


数年後・・・

難波経房は平清盛の供をして布引滝を訪れます。

すると、豪雨となり、経房は雷に打たれて死んだのだと伝えられています。



石山寺多宝塔
(大津市)

石山寺多宝塔は、源頼朝が兄義平を匿ってくれたお礼に寄進したのだと伝えられています。








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉との繋がりを求めて!
奈良京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com