別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年11月15日月曜日

鎌倉:紅葉情報!~長谷寺~2021/11/15


色づきが始まりました。







アジサイ散策路










長谷寺ライトアップ

長谷寺







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉の紅葉


鶴岡八幡宮の紅葉

源氏山公園の紅葉

旧一条恵観山荘の紅葉

本堂後庭園:北鎌倉明月院

長壽寺の特別拝観


北鎌倉の紅葉


大山寺の紅葉

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

納めの観音

長谷寺万灯祈願


1月9日放送開始
鎌倉殿の13人


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源頼朝に日本第一の大天狗と批判された後白河法皇


法住寺


『吾妻鏡』によると・・・

源頼朝と弟の源義経の対立が決定的となった1185年(文治元年)10月、義経は後白河法皇に頼朝追討の院宣を迫ります。

一方、頼朝は、義経を討つため土佐房昌俊を刺客として差し向けますが失敗。





後白河法皇はどうしたか・・・

10月18日、源行家源義経に源頼朝追討の宣旨を発給しました。

京都に駐屯しているのは義経軍だけなので、もし宣旨を出さないで、乱暴をはたらかれたら、防ぐことができません。

その難から逃れるため宣旨を下し、頼朝には後で事情を説明することとしたのだとか。

宣旨は藤原光雅が書いています。

行家と義経には、院庁の御下文(命令書)も出され、四国や九州に者は二人の命令に従うように書かれあったそうです。

さらに、義経行家は、それぞれ九州の総地頭、四国の総地頭に任命されていたようです。

ただ、宣旨を出すか否かを議論する席で、右大臣の九条兼実は、一貫して鎌倉の頼朝に味方する発言をしていたようです。

後にそれを聞いた頼朝は大変喜んでいたそうです。


宣旨が発せられたことは、10月22日に鎌倉の頼朝に伝わります。

頼朝は24日に義経討伐軍を京都へ向け、翌日には自らも出陣します。

一方の義経は、思うように兵が集まらず、11月3日、200騎ほどで都落ちします。

その後、義経は大物浦から船出して難破。

一行はちりぢりとなり、吉野山に潜伏した後、行方がわからなくなりました。


11月7日、義経は、伊予守と検非違使の職を解任されています。


この間、京には義経に入れ替わるようにして東国軍が入り、頼朝の怒りが伝えられると、11月11日、義経と行家を探し出すようにという院宣が畿内近国の国司らに出されました。


そして、11月15日、大蔵卿・高階泰経の使者が書状を携えて鎌倉に到着します。

その内容は、義経行家に下した頼朝追討の宣旨についてでした。

「行家と義経の謀反の件については、天魔の仕業です。

宣旨を下さらなければ宮中で自殺すると言ってきたので、当面の難を回避するため、一度は勅命を出しました。

しかし、これは法皇さまの御意向ではないのです」


これに対する頼朝の返書には、

「行家と義経の謀反の件が天魔の仕業とは・・・

これは根拠もないことをおっしゃる!

天魔は仏法を守り、秩序・道理の分からない者を煩わすもの。

頼朝は数多くの朝敵を押さえしずめ、務めを忠実に奉仕している。

それが、たちまちのうちに反逆者にされ、然したる御意向もなく院宣を下すとは・・・。

行家と義経を召し取るまでの間、諸国は衰え、人民は滅亡してしまうかも・・・。

法皇さまは日本第一の大天狗と言うべきでしょう」

と書き、後白河法皇のこれまでの言動を批判したのだそうです。

※ただ近年では、日本第一の大天狗は後白河法皇のことではなく、高階泰経のことという説があるようです。

※高階泰経は、義経の望み(頼朝追討の宣旨の発給)を後白河法皇に取り次いだ人物。


11月26日、後白河法皇は高階泰経に蟄居を命令。

理由は泰経が義経の謀反に味方したため。

その後、伊豆国流罪となったのだとか。


1186年(文治2年)3月12日、頼朝追討の院宣に反対していたという九条兼実が、頼朝の推挙によって摂政となっています。







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鎌倉との繋がりを求めて。
奈良・京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝

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2022年の大河ドラマ
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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


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2021年11月14日日曜日

かんなみ仏の里美術館の企画展~「北条宗時と墳墓堂」~




北条宗時は、北条時政の嫡男。

1180年(治承4年)8月23日、源頼朝に従って父時政や弟義時とともに石橋山の戦いに臨みますが大敗。

『吾妻鏡』によると、

頼朝は土肥山中に逃れますが、時政と義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ、宗時は土肥郷から桑原郷を経て平井郷へ向かおうとしたそうです。

しかし、早川の辺で伊東祐親の軍に包囲され小平井久重に討ち取られてしまいます。




『吾妻鏡』によると、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っています。




ここに宗時の墳墓堂があったのかどうかはわかりませんが、函南町では「宗時神社」と呼ばれているそうです。


北条宗時の宝篋印塔

狩野茂光の五輪塔

狩野茂光は、石橋山の戦いで負傷し、歩けなくなったことから自害したのだと伝えられています。


北条宗時・狩野茂光の碑











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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


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歴史めぐり源頼朝


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2021年11月13日土曜日

2022年:銭洗弁財天の祭日表~巳の日のカレンダー~




銭洗弁財天には、霊水で銭を洗うと数倍になるという信仰があって、巳の日、特に弁財天の縁日「己巳日」(つちのとみのひ)は賑わいます。

洗った銭は持っているのではなく使う事によってご利益があるのだとか・・・。




2021年の新年初巳の日は1月4日、中祭は4月10日、大祭は9月13日。



銭洗弁財天


鎌倉初詣特集








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