別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年9月5日日曜日

堀親家の館跡と供養塔がある定林寺~伊豆市~




堀親家は、源頼朝伊豆国の流人だった頃からの側近。

1180年(治承4年)8月17日、頼朝の源氏再興の挙兵に参じ、山木館襲撃石橋山の戦いで活躍した武将です。


ただ、頼朝が亡くなると・・・

1203年(建仁3)9月2日、北条時政比企能員を暗殺し、北条義時らが比企邸を攻めて比企一族を滅ぼすと、源頼家は9月5日、和田義盛仁田忠常に書状を出して北条時政追討を命じます。

書状を届けたのは堀親家。

しかし、和田義盛は書状を時政に渡し、親家は捕えられて工藤行光に誅殺されました。

仁田忠常は翌日、北条時政邸に呼び出された帰りに加藤景廉に誅されています。





~堀親家の菩提寺~


堀親家供養塔






伊豆・箱根







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝配流の地・北条氏発祥の地

北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~

熱海と源頼朝の伝説

伊東で源頼朝伝説

湯河原・真鶴の源頼朝伝説


2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


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鎌倉市景観重要建築物等~萬屋本店~



2021年(令和3年)9月2日、由比ガ浜大通りにある萬屋本店が「景観重要建築物等」に指定されました。




のり真安齋商店



日本遺産鎌倉




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小笠原流弓馬術の祖・小笠原長清




小笠原長清(おがさわらながきよ)は、高倉天皇の下で滝口武者として活躍した甲斐源氏・加賀美遠光の次男。

甲斐国巨摩郡小笠原郷を相続し、高倉天皇から小笠原の姓を賜りました。

母は杉本義宗の娘(和田義盛の娘という説も。)。

妻は上総広常の娘。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によれば、

1180年(治承4年)10月19日、平家軍を迎え撃つため黄瀬川の宿所にいた源頼朝のもとに参陣しています。

それまでは平知盛の被官として京にいましたが、母の病気を理由に帰国を許してもらたのだそうです。

その後は、頼朝の御家人として活躍し、信濃守に任じられました(長清は信濃守護家小笠原家の祖)。

馬術・弓術に優れた才能を発揮し、海野幸氏・望月重隆・武田信光とともに弓馬四天王の一人に数えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1188年(文治4年)正月20日の二所詣や1193年(建久4年)5月の富士裾野の巻狩りに随行。

1193年(建久4年)8月16日の鶴岡八幡宮放生会の流鏑馬では射手を務めました。


小笠原流流鏑馬


1194年(建久5年)には、頼朝の命により東大寺大仏殿の多聞天像を造立負担をしています。

東大寺大仏殿・多聞天
(東大寺大仏殿)

※現在の多聞天は長清の時代のものではありません。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~那須野の巻狩りで選ばれた弓馬の達人~

1193年(建久4年)、富士裾野の巻狩りに先立って催された那須野の巻狩り。

このとき頼朝は、弓馬術に優れた腹心の者22名を選んで弓箭を帯びさせました。

他の者は一万騎もいたそうですが、弓箭を帯びず勢子の役をしたのだそうです。

22名に選ばれたのは、

北条義時

武田信光

小笠原長清

里見義成

千葉成胤

榛谷重朝

藤沢清親

渋谷高重

望月重義

工藤行光

狩野宗茂

宇佐美助茂

土屋義清


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~頼朝死後の小笠原家~

子の長経は源頼家に仕えたことから、1203年(建仁3年)9月4日に処罰されますが(比企能員の変)、姉妹の大弐局は源実朝の養育係を務め、嫡男時長は1219年(承久元年)の三寅(のちの四代将軍藤原(九条)頼経)の鎌倉下向の随兵を務めています。

1221年(承久3年)6月の承久の乱では父子8人で活躍しました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

9月14日~16日は・・・
鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮神幸祭

流鏑馬

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


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2021年9月4日土曜日

2021小出川彼岸花まつり







藤沢市、寒川町、茅ヶ崎市を流れる小出川。

小出川沿いには約3㎞にわたって彼岸花が咲きます。

2021年の彼岸花まつりは9月25日(土)。



小出川の彼岸花







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

西方寺のヒガンバナ

日向の彼岸花

常泉寺のヒガンバナ

英勝寺のヒガンバナ


鎌倉のヒガンバナ
ヒガンバナ


鎌倉の紅葉


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特別展「鶴岡八幡宮の名刀-歴史に宿る武士の信仰-」~鶴岡ミュージアム~




源頼朝佩刀と伝えられる国宝『沃懸地杏葉螺鈿太刀』(いかけじぎょうようらでんたち)をはじめ、源頼義寄進と伝えられる国宝『朱漆弓』・国宝『沃懸地杏葉螺鈿平胡なぐい』(いかけじぎょうようらでんひらやなぐい)、源頼朝が東大寺の鎮守手向山八幡宮から贈られたという重要文化財の『菩薩面』などが公開されています。


鶴岡八幡宮







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鶴岡八幡宮例大祭
9月14日~16日


鶴岡八幡宮神幸祭

流鏑馬


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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時

宿老13人の合議制


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京都:烏寺と呼ばれる専定寺~熊谷直実の伝説~




1207年(建永2年)9月4日、専定という旅の僧が松の木陰で休んでいると・・・

梢にとまった二羽の烏が・・・

「今日は熊谷蓮生房が大往生の日だ。西方浄土へ導かれるのも念仏の功徳というものだろう」

と話して飛び去っていきました。

不思議に思った専定が熊谷蓮生房の庵を訪ねると、その日に蓮生房は亡くなっていたとのだといいます。

これが専定寺の起こりで、「烏寺」(からすでら)と呼ばれる由縁なのだとか。


(金戒光明寺)


熊谷蓮生房とは、熊谷直実のこと。

源平合戦で活躍しますが、一の谷の戦いで我が子ほどの年齢の平敦盛の命を奪ったことに無常観を感じ、金戒光明寺で出家したのだと伝えられています。

『吾妻鏡』には、1208年(承元2年)9月14日未の刻(午後2時頃)に世を去ることを発表し、その予告どおり東山の麓で「端座合掌し、高声念仏を唱え」ながら死去したと記録されています。


(神戸市:須磨寺)



熊谷直実









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鎌倉との繋がりを求めて!
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源義経をめぐる京都


歴史めぐり源頼朝


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