別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年11月3日日曜日

宝物風入~建長寺の伽藍神像~




毎年11月に建長寺円覚寺で開催される宝物風入では、絵画・書籍・工芸品・彫刻などの宝物を拝観することができます。




2024年の建長寺の宝物風入では、普段は仏殿の奥に安置されている伽藍神像を間近で拝観することができます。





伽藍神像は、その名の通り建長寺の守護神。

中央の像は、建長寺開山の蘭渓道隆の出身地である中国南宋で信仰されていた神・張大帝だと考えられています。

伝説によると、蘭渓道隆が来日したのは張大帝に勧められたからなのだとか。





宝物風入では、国宝の蘭渓道隆像法語規則も間近で拝観できます。

宝物風入は11月4日まで。

時間は9:00~16:00

拝観料は300円(建長寺の入山料500円とは別)




宝物風入


建長寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


湘南キャンドル


旧川喜多邸別邸


鎌倉の紅葉


長谷寺ライトアップ


よりともジャパン.com


2024年11月1日金曜日

源氏物語の最後の十帖~宇治十帖~


紫式部光源氏を主人公とする『源氏物語』の続編「宇治十帖」を1010年(寛弘7年)頃から書き始めたとも言われます。

ただ、「宇治十帖」が書かれた時期は不明で、紫式部ではなく娘大弐三位(賢子)が書いたとする説などがあるようです。


「宇治十帖」は、光源氏が亡くなった後の物語で、美しいと評判の匂宮、そして、美しい姫君の大君中の君浮舟の悲しい恋物語。


は光源氏の次男(実は柏木女三の宮との不義の子。)。

匂宮は光源氏の孫(母は明石の中宮)。

大君中の君浮舟は光源氏の異母弟八の宮の娘。

「宇治十帖」には、これらの登場人物の恋愛と悲しい運命が描かれています。



宇治十帖


源氏物語










☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


藤原道長

藤原彰子


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石


紫式部年表


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


よりともジャパン.com


比叡山で石を投げつけられた藤原道長


1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男顕信が、突然、出家してしまいました。

5月に比叡山で受戒が行われますが、道長も参列します。

ただ、道長は下馬せず騎馬のまま比叡山を登ってしまいました。

そのため、道長は僧や大衆から石を投げつけられてしまったのだとか。

その後・・・

道長は重病となります。

比叡山を騎馬で登ったので、山王権現(日吉大社)の祟りにあったという噂が流れたのだとか。


📎比叡山で投石され、重病になった藤原道長~顕信の受戒と山王権現の祟り~




比叡山延暦寺東塔

延暦寺は、最澄によって開かれた天台宗総本山。



日吉大社

日吉大社は平安京の鬼門の守護神、延暦寺の守護神として崇敬された社。




紫式部


藤原道長

藤原彰子









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


よりともジャパン.com


2024年10月30日水曜日

三条天皇の「夜半の月」と藤原道長の「望月」





三条天皇藤原道長

権力を争ったこの二人は、それぞれに夜空に浮かんだ美しい月を見ました。

しかし、その眺め方と思った事は対照的でした。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


三条天皇冷泉天皇の第二皇子。

母は藤原兼家の長女・藤原超子藤原道長の姉)。

東宮(皇太子)の時代が長く、1011年(寛弘8年)に一条天皇から譲位されたときは30代の半ば。

この時代は摂関政治の最盛期。

天皇が朝廷の政務に要望をしないことが前提で、幼い天皇が望まれていた時代。

しかし、三条天皇は人生の経験を積んで世の中の道理が最もよくわかる年ごろ。

絶大な権力を誇っていた外叔父の藤原道長と対立することに。

1014年(長和3年)、三条天皇は眼病を患いますが、自分の娘・彰子が生んだ敦成親王を即位させたい道長は、それを理由に退位を迫ります。

内裏の焼亡も重なって道長との権力闘争に疲れ果てた三条天皇は、1016年(長和5年)、美貌だったという皇后宮・藤原娍子が生んだ敦明親王を皇太子とすることを条件に譲位。

退位する直前に詠んだのが

心にも
あらでうき世に
ながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな


「心ならずもつらい現世で生き長らえているならば・・・

さぞかしここで眺めた夜更けの月が恋しく思いだされることであろう」

「死んでしまいたい」と思いながら詠んだ歌のようですが、三条天皇は翌年に崩御。


一方、道長は・・・

三条天皇の譲位により、外孫で8歳の後一条天皇が誕生すると、摂政となって権勢を奮い、敦明親王に皇太子を辞退させ、後一条天皇の弟・敦良親王を皇太子とすることに成功。

そして、1018年(寛仁2年)、四女の威子が後一条天皇の中宮(皇后)となると・・・

三后のすべてを我が娘で占めるという前代未聞の偉業を達成(太皇太后は長女の彰子・皇太后は次女の妍子)。

詠んだ歌が

この世をば
わが世とぞ思ふ
望月の
かけたることも
なしと思へば


「この世で自分の思うようにならないものはない。

満月に欠けるもののないように・・・」





夜半の月


望月の歌



紫式部


藤原道長

藤原彰子









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


よりともジャパン.com