1008年(寛弘5年)正月、懐妊が明らかとなった
一条天皇の中宮・
藤原彰子は、7月16日、お産のために
土御門殿へ里下がりします。
『紫式部日記』によると、
彰子の出産は9月10日未明から11日の正午まで1日半にも及ぶものでした。
7日経っても顔がやつれ疲れ切った様子だったのだといいますが、父
藤原道長をはじめとする周囲の期待から解放されて寝息をたてている
彰子を見た
紫式部は・・・
「頼りなく、幼く、かわいらしげ」
と感じたのだとか。
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『紫式部日記』によると・・・
土御門殿には、8月20日過ぎ頃から宿直する者が多くなり、橋廊の上や対の屋の簀子などで仮寝をしながら、とりとめもない遊び事をして夜を明かしていたそうです。
琴や笛の演奏などもある一方で僧たちの読経の競い合いもあり、場所が場所だけに面白く感じられたようです。
藤原斉信・源経房・源憲定・源済政などが演奏する夜もあったのだとか。
9月9日・・・
月が美しい夜、彰子の御座所には
小少将の君や
大納言の君などが伺候。
彰子は、いつもより苦しそうな様子でしたが、8月26日に調合された薫物の香りをゆっくり味わせていました。
そして、加持の時間になり彰子は別の部屋へ・・・
紫式部は少し休もうと横になっていると寝てしまったらしい。
すると、夜中になって人びとが大声で騒ぎ始める・・・
9月10日・・・
明け方、御座所のしつらいが浄白に替えられ、
彰子は白木の御帳台に入ります。
道長や彰子の兄弟などが忙しく働き、とても落ち着かない状況。
彰子が不安そうにしている中、彰子にとりついている物の怪を憑坐に駆り移しての調伏が行われる・・・
土御門殿には、彰子の懐妊以来、仕えていた大勢の僧侶をはじめ、山々や寺々を探し求めた修験者、ありとあらゆる陰陽師も参集していました。
紫式部は三世の仏もどんなに空を翔け回っているだろうか・・・
八百万の神々も願いを聞いてくれるだろう・・・
と感じたらしい。
9月11日・・・
明け方、
彰子は日の当たらない廂の間に移ります。
加持のため雅慶僧正や定澄僧都、法務僧都の済信などが伺候。
院源僧都は、道長が前日に書いた安産の願文に、さらに尊い文言を書き加えたのだといいます。
道長が仏に念じる姿を見た女房たちは、涙をこらえることができなかったのだとか。
その後、しかるべき女房のみが彰子の側に伺候し、御几帳の内側には彰子の母・
源倫子・
讃岐の宰相の君・内蔵の命婦、さらに
仁和寺の僧都の君と
三井寺の内供の君も中に呼び入れられます。
道長が指図する大きなお声に、僧侶たちの読経の声も圧倒されるくらいだったのだとか。
もう一間には、
大納言の君・
小少将の君・
宮の内侍・弁の内侍・中務の君・大輔の命婦・大式部のおもとが彰子を心配しながら控えていました。
そして、
彰子は正午頃に男子(
敦成親王)を出産。
女房達は皆、涙で化粧が崩れ、特に
小少将の君はその人と思えないくらいに崩れていたのだとか。
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加持を行った雅慶は
勧修寺の長吏(門跡寺院の長)。
定澄は
興福寺の別当。
済信は
東大寺の別当で仁和寺僧都と呼ばれていた。
道長の願文に尊い文言を書き加えた院源は天台座主(
延暦寺貫主)。
勧修寺は、醍醐天皇が母の藤原胤子の菩提を弔うため、宮道弥益の邸宅跡に創建させた寺。
寺名は、胤子の父藤原高藤の諡号からのもの。
高藤は
紫式部の先祖。
『源氏物語』に登場する
光源氏と
明石の君の恋の話は、貴公子・高藤と身分の低い
宮道列子との恋の話がモデルであるとされています。
興福寺は藤原氏の氏寺で、法相宗の大本山。
聖武天皇が幼くして亡くなった皇子の菩提を追修するため、若草山の麓に金鍾山寺を建立させたのが
東大寺の起源。
延暦寺は、最澄によって開かれた天台宗総本山。
仁和寺は、宇多天皇・祖父の敦実親王ゆかりの寺院。
仁和寺僧都と呼ばれた済信の父は
源雅信。
彰子の叔父にあたります。
『源氏物語』~若菜上~で
光源氏の兄・
朱雀院が出家した寺は、
仁和寺がモデルらしい。
園城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山。
三井寺の内供の君(永円)は
彰子の従兄弟。
紫式部の父・
藤原為時が出家する寺。
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一条天皇の第一皇子は、皇后・
藤原定子が産んだ
敦康親王。
しかし、
彰子が敦成親王を産んだことで
道長の最大の希望が叶うことになります。
道長は「将来、敦成親王が天皇になれば・・・」と考えていたはずです。
実際に敦成親王は
後一条天皇となり道長の夢は実現しました。
1018年(寛仁2年)には、三人の娘が三后を占める(長女の彰子は太皇太后・次女の
妍子は皇太后・四女の
威子は皇后)となる偉業を達成。
栄華を極めた道長が詠んだのが
望月の歌といわれています。
この世をば
わが世とぞ思ふ
望月の
かけたることも
なしと思へば
📎敦成親王誕生5日目の御産養
📎一条天皇の土御門殿行幸、敦成親王と対面
📎敦成親王誕生の五十日の祝い~源氏物語初登場の日~
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