源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
大河ドラマゆかりの史跡・寺社の情報も。
別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
okadoのブログは、
『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2024年5月21日火曜日
2024妙楽寺のあじさいまつり~阿野全成ゆかりの寺~
妙楽寺
は川崎の
あじさい寺
。
阿野全成
が
源頼朝
から与えられた長尾寺と関係があるのだと考えられています。
2024年の「あじさいまつり」は6月16日(日)。
10:00~14:00雨天決行
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2024日本の自生アジサイ展~大船フラワーセンター~
毎年、大船フラワーセンターで開催されている
「日本の自生アジサイ展」
は・・・
5月21日(火)~5月26日(日)。
鎌倉アジサイ同好会の方々が育てられた全国に自生するアジサイが展示されます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2024年5月20日月曜日
藤原定子と清少納言の枕草子~春はあけぼの~
993年(正暦4年)頃から
一条天皇
の中宮・
藤原定子
に仕えた
清少納言
でしたが・・・
996年(長徳2年)の
長徳の変
では、定子は里第の二条宮に下り、清少納言は「道長のスパイ」と噂されて引き篭もってしまったのだといわれています。
翌年、左遷された
藤原伊周
の罪を許されると・・・
一条天皇
は、再び
定子
を宮中に迎え入れます。
そして、
定子
は
清少納言
に戻ってきて欲しいという願いを込めて上質な紙を贈ります。
これをきっかけに書き始められたのが『枕草子』なのだとか・・・
1000年(長保2年)、
定子
は一条天皇の第二皇女・媄子内親王を出産後に崩御。
清少納言
も宮中を去りますが、翌年には定子の才色兼備ぶりを書いた『枕草子』を完成させたのだといわれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
左遷された伊周と貴子・定子
長徳の変
後、
藤原伊周
は大宰府に、弟の
隆家
は出雲国に左遷という勅が発せられました。
『栄花物語』
によると・・・
母の
高階貴子
が面会に訪れ、中宮・
藤原定子
とともに一つに手を取り合って悲しみの一晩を過ごします。
夜が明けて・・・
なかなか配所へ出発しない伊周らに検非違使らが「出発の時になりました」と声をかけても、
貴子
も
定子
も伊周の袖をつかんで放さなかったのだといいます。
ようやく出発しますが、
貴子
は伊周の車から離れず、山崎まで乗っていったのだとか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大宰府と出雲国に左遷された
伊周
と
隆家
ですが・・・
伊周
は播磨国に、
隆家
は但馬国に留める勅が発せられています。
伊周が播磨国の明石にいることを知った母
貴子
は、息子を思う歌を詠んでいます。
播磨国に留まっていた
伊周
は、その後、病に倒れた母
貴子
を案じて秘かに入京しますが、捕らえられ、改めて大宰府に護送されたのだと伝えられています。
📎高階貴子の歌~明石の藤原伊周を思って詠んだ歌~
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
伊周
が流された播磨国の明石は、
紫式部
の
『源氏物語』
の主人公・
光源氏
が流れ着いた地。
『栄花物語』
には
「かたがたに別るる身にも似たるかな明石の須磨も己が浦浦」
という伊周の歌がありますが・・・
『栄花物語』は、光源氏の
須磨・明石
への蟄居を参考に書かれたようです。
📎藤原伊周の歌~播磨国配流と栄花物語「浦々の別」~
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2024遠藤あじさいまつり~藤沢:小出川に咲く紫陽花~
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス南部を流れる小出川の両岸、えびす橋から大黒橋までの約500メートルには、約500株のアジサイが植栽されています。
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