別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年4月14日日曜日

紫式部像のレリーフ~越前武生:紫式部公園~


藤原為時と紫式部

996年(長徳2年)、越前守として武生の国府に赴任する父藤原為時に同行した紫式部

この情景は武生に向かう国司の一行が木ノ芽峠あたりで休息している場面。



藤原道長と紫式部

1008年(寛弘5年)9月11日、中宮藤原彰子一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。

11月1日の「五十日の祝い」で藤原道長に賀の歌を所望された紫式部は、

「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」

と詠みました。




紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が建てられています。





紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語


紫きぶ七橋


光る君へ 越前 大河ドラマ館


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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石山寺の源氏の間~紫式部が源氏物語を書き始めた部屋~




1004年(寛弘元年)、紫式部石山寺に参籠。

琵琶湖に映る月を眺め『源氏物語』の着想を得たのだといいます。

本堂にある源氏の間で書き始めたのは「須磨・明石の巻」だったのだとか。




石山寺は、聖武天皇の勅願によって東大寺良弁が開いた観音霊場。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』・赤染衛門の『赤染衛門集』・和泉式部は『和泉式部日記』・菅原孝標女の『更級日記』にも登場します。

清少納言は『枕草子』に「寺は石山寺・仏は如意輪観音」と綴りました。



明王院には「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」が設置されています。



世尊院では「源氏物語 恋するもののあはれ展」が開催されています。



琵琶湖で紫式部・源氏物語


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向

紫式部の京都


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言



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2024年4月13日土曜日

八重姫の梯子供養~伊豆の国市:真珠院~




父の伊東祐親が大番役で在京している間に、流人だった源頼朝と恋仲となった八重姫

千鶴丸という男児も授かりますが・・・

それを知った父祐親は許さず、千鶴丸を殺害し、八重姫を伊東館に幽閉しました。

頼朝は北条時政を頼ったようです。


嘆き悲しみの幽閉生活を送った八重姫ですが、頼朝に会いたい一心で伊東館を抜け出して北条館へと向かいます。

しかし、頼朝は時政の娘政子と結ばれていました。

傷心の八重姫は、真珠ヶ淵に身を投げたのだといいます。





八重姫梯子供養は、「せめて梯子あったら救うことができたのに」という里人の想いから始められたという祭。

今日でも、願い事が叶った際には、小さな梯子を供える習慣があるようです。




かつて、真珠院の南には「真珠ヶ淵」という深い淵があったのだそうです。



八重姫

千鶴丸


伊東祐親


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地


北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~


歴史めぐり源頼朝







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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


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