別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年2月5日月曜日

満月の夜、まひろと道長が逢っていたのは河原院?~光る君へ第5話~




満月の夜、まひろ(紫式部)と道長が逢った六条の寂れた屋敷は、『源氏物語』~夕顔の巻~で光源氏夕顔を連れ出した某院をイメージしているのかも・・・

某院は、光源氏のモデルの一人とされる源融が造営した河原院がモデルといわれています。


(宮城県塩竃市)

源融は、864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向。

鹽竈神社の南の融ヶ岡に別荘を構え、融ヶ岡から見える千賀ノ浦の景色をこよなく愛したのだといいます。




帰京した源融は、塩竃の風景を模した庭園を造営し、尼崎から海水を運んで塩焼き(製塩)を楽しんだのだとか。



河原院は源融が造営した大邸宅。



錦天満宮の境内社・塩竃神社は 源融を祀る社。

錦天満宮は、河原院跡にあった歓喜寺の鎮守として創建されたことに始まります。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆




光源氏に寂れた某院に連れ出された夕顔は、物の怪が現れて命を落としてしまう・・・

物の怪は六条御息所という説も。



光源氏:多賀城・塩竃・名取


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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2024年2月4日日曜日

清少納言の初午の日~うらやましげなるもの~


2月の初午の日、清少納言は朝早くから伏見稲荷に参拝。

稲荷山に登り始めますが、中の御社のあたりで疲れてしまいます。

それでも我慢して登っていると・・・

後から登って来る人たちが、苦しそうな感じもなく、追い抜いていく。

それを見て「凄いこと」と感動したのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


疲れを我慢して登る清少納言ですが、坂の途中なのに巳の刻頃(午前十時頃)になってしまいます。

だんだん暑くなってきて、情けなくなり、

「何でこんな日に。

もと良い日があっただろうに。

何のために今日参拝しているのだろう?」

と思い涙が落ちてきます。

疲れ切って休んでいると・・・

壺装束(旅に出る際)も着ないで、着物の裾をたくし上げて下りて来る四十歳を過ぎたくらいの女性に会います。

その女性が道行く人に語り掛けていた話によると、

七度詣をしている途中で、もう三度はお参りし、あと四度お参りして未の刻頃(午後二時頃)には帰るらしい。

普通の所では目にも留まらない女性でしたが、清少納言はこの女性に成り代わりたいと思ってしまったのだとか。





全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に渡来系豪族の秦伊呂巨が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことに始まるのだと伝えられています。









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雀になって都に帰ってきた藤原実方~京都:更雀寺~




更雀寺は、清少納言と交際していたという藤原実方の供養塔がある寺。


雀塚

雀塚は、陸奥国に左遷となり、都に帰れぬまま没した藤原実方の供養塔。

勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。

翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。

更雀寺勧学院を前身としています。





光源氏:多賀城・塩竃・名取









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2024年2月3日土曜日

清少納言の恋人・藤原実方に罰を下した出雲路道祖神の娘~京都:幸神社~




清少納言と交際していたといわれる藤原実方は、995年(長徳元年)、陸奥守に左遷されます。

そして、998年(長徳4年)12月13日、陸奥国の佐具叡神社の前を下馬せずに通ったため落馬して亡くなります。

佐具叡神社に祀られていたのは女神。

都の一条の北に鎮座する出雲路道祖神の娘。

幸神社は「出雲路道祖神」とも呼ばれた社。





光源氏:多賀城・塩竃・名取









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