別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年2月1日木曜日

「源氏物語と大津」で再現されている源氏の間~大津市歴史博物館~




大津市歴史博物館のエントランスには、石山寺「源氏の間」を再現したフォトスポットがあります。

「源氏の間」は、紫式部『源氏物語』を書き始めたという部屋。



中に入ることができます。


大津市歴史博物館では、特集展示「源氏物語と大津」が2025年(令和7年)2月2日(日曜)まで開催されています。

紫式部源氏物語石山寺ゆかりの品々などが展示されています。


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2024年1月30日現在の源氏の間

いつもは源氏物語を書いている紫式部がいるのですが、お化粧直しをしているようです。


紫式部

3月には戻ってくるようです。



石山寺には、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」が設置されています。

2024年1月29日(月)〜2025年1月31日(金)の開催。




石山寺は、聖武天皇の勅願によって東大寺良弁が開いた観音霊場。

紫式部『源氏物語』を書き始めた寺として知られています。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』・赤染衛門の『赤染衛門集』・和泉式部は『和泉式部日記』・菅原孝標女の『更級日記』にも登場。

そして、清少納言は『枕草子』に「寺は石山寺・仏は如意輪観音」と綴りました。









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子



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2024年1月31日水曜日

五節の舞姫装束~まひろの装い:光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館~



「光る君へ」第4話で主人公のまひろが付けていたのは「白地菱型地に下り藤染め裳」(しろじひしがたじにさがりふじぞめも)。



手にしていたのは「金銀泥鳳凰絵入大翳」 (きんぎんでいほうおうえいりおおかざし)。


石山寺で開催されている「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」に展示されています。






「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」は2024年1月29日(月)〜2025年1月31日(金)の開催。



石山寺は、聖武天皇の勅願によって東大寺良弁が開いた観音霊場。

紫式部『源氏物語』を書き始めた寺として知られています。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』・赤染衛門の『赤染衛門集』・和泉式部は『和泉式部日記』・菅原孝標女の『更級日記』にも登場。

そして、清少納言は『枕草子』に「寺は石山寺・仏は如意輪観音」と綴りました。









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子



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2024年1月29日月曜日

紫式部が豊明節会で詠んだ歌~五節の舞姫と右京~


「おほかりし 豊の宮人 さしわけて しるき日かげを あはれとぞ見し」

紫式部五節の舞姫の日陰の蔓を着けた右京(宰相中将)に贈った歌。

「大勢いた豊明節会に参集した人々の中で、ひときわ目立っていた日陰の蔓を着けたあなたをしみじみと見ました」

1008年(寛弘5年)11月20日の豊明節会で、弘徽殿女御に仕える右京は、五節の舞姫に日陰の鬘の下賜を願い出て、中宮・藤原彰子から与えられたらしい。







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紫式部


源氏物語

光源氏


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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弘徽殿の女御~光る君へ~


「光る君へ」第4話で、源雅信は、花山天皇に入内した藤原忯子を「弘徽殿の女御」と呼んでいました。

そして、倫子に入内を進めていたりしていましたが・・・

弘徽殿(こきでん)は、清涼殿北側にあった皇后・中宮・女御などが居住した殿舎のこと。

藤原忯子弘徽殿を賜りました。




紫式部『源氏物語』では、光源氏の父・桐壺帝の最初の妃で朱雀帝を生んだ弘徽殿女御や、その妹の朧月夜が居住しています。








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紫式部


源氏物語

光源氏


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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まひろが舞ったのは永観2年の新嘗祭~「光る君へ」第4話~


「光る君へ」第4話で、まひろ(紫式部)が舞ったのは、984年(永観2年)の新嘗祭の豊明節会だったようです。

新嘗祭は、その年の五穀豊穣を感謝する祭。

平安時代の新嘗祭は、11月の中卯・辰の2日にわたって行われていました。

天皇が即位した後の新嘗祭は「大嘗祭」と呼ばれますが、即位した年ではなく翌年になることもありました。

花山天皇は984年(永観2年)に即位しますが、8月だったので大嘗祭は翌年に行われています。

「光る君へ」の五節の舞姫は4人でした。

大嘗祭での舞姫は5人が慣例になっていたそうなので、舞姫の人数からすると、まひろが舞った年は新嘗祭だったということになります。


では即位が8月だと、なぜ大嘗祭が翌年になってしまうのか・・・

紫式部の時代、五節の舞姫は公卿や受領の配下の娘が選ばれていたようです。

娘を五節の舞姫として献上する者は、数か月前から準備を進めていました。

献上者の経済的負担も大きかったようなので、一人増やすのは大変な事だったのかと思われます。








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紫式部


源氏物語

光源氏


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源氏物語 須磨・明石

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