別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年1月20日土曜日

藤原実資が信仰した如意輪観音~六角堂(頂法寺)~




六角堂(頂法寺)は、四天王寺を建立するための用材を求め、この地を訪れた聖徳太子が、唐崎明神のお告げで得た杉の霊木で六角の堂を建立し、如意輪観音を祀ったのが始まりなのだとか。

藤原道長権勢下で政界ナンバー2といわれた藤原実資は60回を超える参詣をしていたのだと伝えられています。




西国三十三所第十八番

「わが思う心のうちは六の角 ただ円かれと祈るなりけり」

御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌。












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藤原道隆~藤原道長の兄・源実朝の正妻坊門姫の先祖~




藤原道隆は、藤原兼家の長男。

兼家の跡を継いで一条天皇の関白となり、道隆の一族は中関白家と呼ばれるようになります。

しかし、全盛を迎えようとしていた995年(長徳元年)4月10日に薨去。

弟の道長と政権の座を争った子の伊周隆家は、翌年正月に長徳の変を起こして失脚。

中関白家は没落します。


平清盛の継母で源頼朝の命を救った池禅尼源実朝の正妻坊門姫は、隆家の子孫らしい。








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中山寺の石棺~花山法皇と観音霊場~




中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。


伝説によると・・・

718年(養老2年)、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。

それから270年後、宝印を探し出した花山法皇は三十三所を巡礼。

そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。





986年(寛和2年)6月23日、花山天皇(花山法皇)は藤原兼家道兼父子の策謀により元慶寺で出家(寛和の変)。

播磨国書写山の圓教寺に入った後、延暦寺戒壇院で受戒して法皇となり、観音霊場三十三所を巡礼したのだといいます。




晩年、花山法皇は摂津国で隠棲生活を送り、1008年(寛弘5年)2月8日、京都の花山院(御所)で崩御。

花山法皇が隠棲した花山院菩提寺は、元慶寺とともに霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。





中山寺は、聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場。

観音信者だった源頼朝も信仰した寺。








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蘆山寺の元三大師堂~紫式部邸跡~




蘆山寺の元三大師堂は、比叡山中興の祖といわれる元三大師(慈恵大師良源)を祀る堂。

良源は、藤原道長の祖父・藤原師輔の後援を得て比叡山横川を中興。

道長の父・藤原兼家は、師輔にならって横川恵心堂(恵心院)を建立しています。

恵心堂で修行した恵心僧都源信は、紫式部『源氏物語』に登場する横川の僧都のモデルといわれています。












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