別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年1月19日金曜日

平安神宮の大極殿~平安京の大内裏にあった大極殿の縮小レプリカ~


平安神宮大極殿


平安神宮は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建されました。

平安京の大内裏(平安宮)の政庁(朝堂院)が8分の5の規模で復元されたもの。

祀られているのは、平安遷都を行った桓武天皇と、平安京の最後の天皇となった孝明天皇。

大極殿は朝堂院の正殿。


794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都した頃の平安京は・・・

南の入口に羅城門

その東西には王城鎮護の東寺西寺が建てられます。

羅城門から北へ延びていたのがメインストリートの朱雀大路。

その北端には朱雀門、朱雀門を入ると大内裏(平安宮)がありました。















☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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弘法にも筆の誤り~弘法大師が書いた応天門の額~


平安神宮


応天門は、平安宮(大内裏)の政庁(朝堂院)の正門でした。

平安神宮の応天門はその縮小版。


伝承によると・・・

弘法大師空海は勅命により応天門の額を書くことになります。

しかし、「応」の字の点を書き忘れてしまい、掲げられた額に筆を投げつけて書き足したのだとか。

「弘法にも筆の誤り」ということわざは、そこから生まれたのだといいいます。












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藤原詮子の慈徳寺~花山天皇が出家した元慶寺近くにあった寺~


花山天皇が出家した元慶寺の隣接地には、藤原詮子が建立した慈徳寺があったといわれています。

藤原実資の『小右記』によると、慈徳寺は999年(長保元年)に落慶供養が営まれ、藤原道長の『御堂関白記』には、道長が工事を監督したことや、詮子の御幸の様子が記されています。



元慶寺は、花山天皇が出家した寺。

花山天皇は、寵愛していた女御の藤原忯子が死去すると、悲しみのあまりに出家を考えはじめたのだといわれています。

花山天皇に信任されていた藤原義懐と権勢を争っていた藤原兼家は、この機に、次女の詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけるため画策。

蔵人として花山天皇に仕えていた三男・道兼に出家を勧めさせます。

そして、986年( 寛和2年)6月23日、道兼に連れられて内裏を抜け出した花山天皇元慶寺で出家したのだといいます(寛和の変)。



華山寺は、慈徳寺の跡地に建てられた寺なのだといいます。









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2024年1月18日木曜日

源倫子と紫式部~式部という名は倫子に仕えた時の女房名?~


紫式部は、1005年(寛弘2年)頃に一条天皇の中宮・藤原彰子の女房として出仕したとされていますが・・・

実は、その前に誰かに仕えていたという説があります。


その理由は「式部」という女房名にあるようです。

紫式部は、初め「藤式部」と呼ばれていたようです。

「藤」は藤原氏だから。

「式部」は父の藤原為時が「式部丞」だったから。

となると・・・

為時が式部丞になったのは984年(永観2年)のこと。

996年(長徳2年)には越前守となっていることから、この間に式部という名が付けられたということになります。


では、紫式部が仕えていた人物とは・・・

藤原道長の妻となる源倫子と考えられるようです。

紫式部は、夫の藤原宣孝を亡くした後に書き始めた『源氏物語』が評判となり、藤原道長の要請によって、1005年(寛弘2年)から藤原彰子に仕えるようになったのだとされていますが・・・

それ以前に倫子に仕えていたとするなら、道長紫式部の信頼関係は、彰子に仕える前から出来上がっていたことになります。




土御門殿は、源倫子の父・源雅信が建設した邸宅。

のちに藤原道長が継承。

紫式部倫子に仕えていたとすると、初出仕の場所は土御門殿ということになります。




蘆山寺紫式部の邸跡に建てられた寺。

紫式部邸は、土御門殿と東京極大路を挟んだ筋向いにありました。









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