別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年1月16日火曜日

鹽竈神社の白髪の老人と藤原実方の伝説




藤原行成の冠を投げ捨てたことが原因で陸奥守に左遷されたという藤原実方は、鹽竈神社で白髪の老人と出会い、歌枕として知られる阿古耶の松の所在を知った。

さっそく駆け付けようとしたが、佐具叡神社を通る際に下馬しなかったため、神罰によって落馬して亡くなったのだと伝えられている。

実方は、中古三十六歌仙の一人。

一条天皇から「歌枕を見て参れ」と言われていたらしい。






光源氏:多賀城・塩竃・名取









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


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陸奥国府や鎮守府が置かれていた多賀城~光源氏赴任の地~




多賀城は、蝦夷討伐のために築かれた城柵。

陸奥国府や鎮守府もここに置かれていました。

紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる源融や藤原実方が赴任した地です。

奥州征伐を行った源頼朝も立ち寄りました。








光源氏:多賀城・塩竃・名取









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源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


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2024年1月14日日曜日

光源氏のモデル・源融が愛した塩竃と河原院




源融は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる者の一人。

864年(貞観6年)、陸奥・出羽の按察使として陸奥国に下向したといわれています。

千賀ノ浦の景色を愛した融は、帰京後、邸宅の河原院に塩竈の風景を模した庭園を造営したのだといいます。



塩竃市の融ヶ岡は、鹽竈神社の南にある丘で、融の屋敷があった所と言われています。




河原院は、源融が京都に造営した大邸宅。



渉成園は、東本願寺の飛地境内地。

河原院の一部だった地。



光源氏:多賀城・塩竃・名取









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陸奥国に下向して亡くなった光源氏:藤原実方




藤原実方は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルといわれる者の一人。

995年(長徳元年)、藤原行成の冠を投げ捨てた罰で陸奥守に左遷されたのだといいます。

そして、3年後の998年(長徳4年)12月13日、陸奥国で死去。

佐具叡神社を通る際に下馬しなかったため、神罰によって落馬して亡くなったのだと伝えられています。

佐具叡神社は佐倍乃神社に合祀されていますが、跡地には実方の墓があります。




光源氏:多賀城・塩竃・名取









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2024年1月13日土曜日

花山天皇の教育係だった紫式部の父・藤原為時


紫式部の父・藤原為時は、977年(貞元2年)、師貞親王(のちの花山天皇)の読書始では副侍読を務めています。

読書始(どくしょはじめ)は、皇族や貴族の子弟が初めて読み方を授けられる儀式。

侍読(じどく)は、天皇や東宮のそばに仕えて学問を教授する学者のこと。


984年(永観2年)、師貞親王が即位して花山天皇が誕生すると、為時は式部丞・六位蔵人に任じられ、後の出世も期待されますが・・・

花山天皇は、986年(寛和2年)6月23日、藤原兼家道兼父子の策略により元慶寺で出家しまいます(寛和の変)。

花山天皇の退位により官職を辞した為時は、996年(長徳2年)に越前守に任じられるまで散位の時が続くことに・・・




元慶寺は、寛和の変で花山天皇が出家した寺。

そのため、花山寺とも呼ばれています。